権田直助:あぶり山しげき御蔭に身をよせて すまばやこゝに老をわすれて p21 1809~1887 明治14年本籍を神奈川へ移す 直助の母:伊与 直助の長男:年助、39歳で永眠 直助の孫:豊助、長女・さち(幼名)>てい(明治5年で28歳) 権田はま...
2011/11/29(火) 午後 6:18 [ CQF ]
善徳寺、龍谷寺のかつての筆頭檀家毛呂氏、大谷木氏の末裔は何処に AY8,p69 幕府にも仕え、動乱の時代を経て、東京にもその苗字が残るがその末裔とのかかわりが、AY8,p69に も問いかけとして記されている。 明治維新も激動の時代ではあったのだろうが、その年代に毛呂氏を回顧する季光石碑が建立されていることは感慨深いものがある。...
2012/1/2(月) 午後 0:01 [ ATS ]
行基の足跡...
2012/1/5(木) 午前 6:42 [ ATS ]
高麗:新羅:...
2012/1/6(金) 午後 3:04 [ ATS ]
高麗:台村:水天の碑:...
2012/1/6(金) 午後 6:02 [ ATS ]
Puzzle:石碑の文字[ 泪 ]? 涙...
2012/2/10(金) 午前 3:21 [ 車QF ]
Puzzle:Kon:今:今井孝:鹿児島大学総合研究博物館...
2014/6/19(木) 午後 9:48 [ ATS ]
Puzzle:醫ノヒトコト;権田直助:P-00-0-1-5表題:醫(医)能飛東故登 表題 醫 ノ ヒ ト コ ト 1醫:医 2能 3飛 4東 5故 6登...
2014/6/20(金) 午後 2:58 [ ATS ]
Puzzle:醫ノヒトコト;権田直助:P-1-1-3G:神:...
2014/10/5(日) 午前 7:06 [ ATS ]
37 日高町史調査報告 第6集
日高町の板碑 日高町教育委員会/編
日高町(埼玉県) 日高町 1990
郷土資料
2011/10/30(日) 午後 1:48[ ogw*og*3 ]返信する
39 日高町古文書資料目録 3
日高町(埼玉県):日高町教育委員会 1975
郷土資料
40 日高町古文書資料目録 1
日高町教育委員会/編
日高町(埼玉) 日高町教育委員 1973.01
郷土資料
2011/10/30(日) 午後 1:48[ ogw*og*3 ]返信する
41 日高町古文書資料目録 6
日高町教育委員会/編
日高町(埼玉) 日高町教育委員 1981
郷土資料
42 日高町古文書資料目録 7
日高町教育委員会/編
日高町(埼玉) 日高町教育委員 1982.03
郷土資料
2011/10/30(日) 午後 1:49[ ogw*og*3 ]返信する
43 日高町古文書資料目録 4
日高町教育委員会/編
日高町(埼玉) 日高町教育委員 1975.03
郷土資料
44 日高町古文書資料目録 2
日高町教育委員会/編
日高町(埼玉) 日高町教育委員 1974.03
郷土資料
2011/10/30(日) 午後 1:49[ ogw*og*3 ]返信する
53 一橋御用道中日記
狭山古文書叢書 第14集 第14集 狭山古文書勉強会/編
狭山:狭山古文書勉強会 1998
郷土資料
2011/10/30(日) 午後 1:52[ ogw*og*3 ]返信する
62 武蔵国高麗郡 田木村古記録
横田 八郎/著
日高:文化新聞社(印刷) 1999
郷土資料
63 武蔵国高麗郡新堀村明細帳
狭山古文書叢書 第15集 第15集 狭山古文書勉強会/編
狭山:狭山古文書勉強会 1998
郷土資料
2011/10/30(日) 午後 1:53[ ogw*og*3 ]返信する
源頼義、義家、義親、為義、義朝、頼朝
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/nob/seiwagenji-1.gif
http://www.ne.jp/asahi/kibono/sumika/kibo/note/nob/keizu.htm
2012/1/5(木) 午前 6:00[ ATS ]返信する
台座左側には“賛助人”として
・西村松平(夫の松兵衛)
・鈴木魚龍(別名・清次郎)
・新原了雄の連名があった
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/ryouma65.jpg
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/h-n-sisou.htm
2012/1/5(木) 午前 9:06[ ATS ]返信する
上杉神社へお参りです。
そう、ここは米沢。
上杉鷹山公
http://blogs.yahoo.co.jp/flyman5202/62841627.html
2012/2/12(日) 午前 0:50返信する
紀元前1000年頃の北部ベトナムにはヴァンラン(文郎)国が繁栄していたと、ベトナムの歴史書にあるそうです。
古代史に記されたヴァンラン国の王は代々フンヴーン(雄王)を名乗り、それぞれの生涯はゆうに100歳を超えたとされています。
その初代フンヴーンのベトナム建国に関する伝説です。
中国の史書にはもっと細かく、紀元前2880年からとされていて、紀元前258年にアウラック(甌駱)国を建てたアンユンヴーン(安陽王)に滅ぼされるまでの2622年間、18代の王が続いたとされています。
こちらは一度計算していただくとお分かりでしょうが、いかにも壮大な歴史書です。
この「十八史略」に登場する三皇(天皇、地皇、人皇)伝説から始まる子孫の一人、漢方薬の祖とされる炎帝神農氏がベトナム史書の始めに名が記されているそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/thuongohara/29007763.html
2012/2/13(月) 午前 9:20返信する
京都の古い石はほとんど白川と言われていますがその石と同じゴロゴロとした結晶が入ってて白川の採掘場だった所と近いので白川だったら嬉しいんですが三雲石、由良みかげっていう石も近くで採れていたのではっきりとは断定出来ません
http://blog.livedoor.jp/kamegawahiroshi/archives/51947415.html
http://blog.livedoor.jp/kamegawahiroshi/
2012/5/17(木) 午前 6:04[ ATS ]返信する
福山城の石垣
http://livedoor.blogimg.jp/kamegawahiroshi/imgs/6/9/69edd8c4-s.jpg
http://blog.livedoor.jp/kamegawahiroshi/archives/51932391.html
2012/5/17(木) 午前 6:16[ ATS ]返信する
武州河越善行録 上
https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/kicho/gazou/41-1.pdf
https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/kicho/syosai/041.html
2014/5/22(木) 午後 10:40返信する
森琴石周辺の人物や事柄・資料などを紹介する項目です
http://www.morikinseki.com/kanren/kanren_ka.htm
2014/5/23(金) 午前 4:54返信する
川村碩布 とは - コトバンク - kotobank
kotobank.jp/word/川村碩布
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 川村碩布の用語解説 - 1751-1843 江戸時代中期-後期の俳人。宝暦元年生まれ。加舎白雄(かや-しらお)にまなび,倉田葛三(かつさん)の跡をうけて師の庵号春秋庵をつぎ,4代となった。追善集に「碩布発句集」がある。
2014/5/25(日) 午後 7:21返信する
埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/川村 碩布 - 埼玉県 ...
www.pref.saitama.lg.jp › ... › 埼玉ゆかりの偉人データベース
偉人氏名, 川村 碩布. □ 氏名よみがな, かわむら せきふ. □ 偉人氏名(別名), ---. □ 別名よみがな, ---. □ 主な功績, 俳人. □ 分野, 文学. □ ゆかりの市町村名, 毛呂山町. □ 出生地, 毛呂山町. □ 主な居住地, 毛呂山町. □ 生年(西暦)から 没年(西暦), 1750 ...
2014/5/25(日) 午後 7:21返信する
色かえぬかはりやまつに秋の声
http://blogs.yahoo.co.jp/qazxswedcvfr2004jp/50889085.html
2014/5/25(日) 午後 9:14返信する
碩布と梅
梅百句
https://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/kawamurasekifu_syunzyuan.pdf
。それだけに、文字もいろくに使いわけている。
梅という字に、
雲目、
楳、
烏米、
うめ、
う免、
羽母、
雲母、
う米、
宇米、
などを使っている
2014/5/26(月) 午後 4:33返信する
川べりや 危なき梅の 返り枝?
岩鼻や
2014/5/26(月) 午後 5:12返信する
梅百句(碩布の代表作)
https://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/kawamurasekifu_syunzyuan.pdf
白雉句集
碩布句集
碩布発句集
春秋稿
の四部十三巻
2014/5/26(月) 午後 5:52返信する
昭和四十五年三月三十日印刷
昭和四十五年三月三十一日 発 行 (非売品)
執筆者
毛呂山町文化財保護審議委員会委員
村本 達郎
上村 華蝶
小川 喜内
関根 立
小久保 一郎
社会教育主事 秋馬 博
発行所
毛呂山町文化財保護審議委員会
埼玉県入間郡毛呂山町教育委員会内
https://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/kawamurasekifu_syunzyuan.pdf
2014/5/26(月) 午後 6:00返信する
碩布の代表作の梅百句
は「多く書き残されている」とされ、その
83才と88才に書かれたとされる掛け軸が参照されている。
少なくてもその2点は上記コメントの出典が書かれた時点では
現存していたのだろう。そこで、その2点の現存が確認できるのか、
さらには「多くの」と冠された、資料がどの程度現存しているのであろうか。 これらの所在と閲覧が可能なのかも注目しておきたい。
2014/5/26(月) 午後 6:46返信する
色かえぬかはりやまつに秋の声
members.jcom.home.ne.jp/michiko328/nakaze.html
碩布の句碑 色かえぬかはりやまつに秋の声. 毛呂町長瀬の県道30号飯能寄居線沿いに川村碩布の句碑があった。 川村碩布の句碑 色かえぬかはりやまつに秋の声 毛呂町指定史跡 碩布の句碑. この俳句の作者川村碩布は、毛呂山町が生んだ江戸時代の ...
2014/5/26(月) 午後 6:53返信する
続猿蓑 - 俳諧データベース
http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/haikai/haikai_i164.html
2014/5/26(月) 午後 6:58返信する
つぬさはふ
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/105_23.htm
2014/5/26(月) 午後 7:16返信する
明和元年(1764) 15才 俳諧を好み、河庵と号す。
天明元年(1781) 32才 この頃江戸に出て、正風俳諧を加舎白雄に学び、八哲の一人となる。
寛政四年(1792) 43才 父川村金左衛門宗孝死去。行年五十六歳。この頃碩布は馬場村村長で
あった。名前も七郎兵衛に改めた。
2014/5/26(月) 午後 8:01返信する
寛政六年(1794) 45才 この頃家業よりも俳諧に打込み、俳諧の先達となり、多くの門弟を擁
し、山根連を興す。
文化六年(1809) 60才 俳諧の名声いよいよあがる。後世同じ道を歩んだ野口有柳(通称祓助)
川角村に生る。
2014/5/26(月) 午後 8:06返信する
文政元年(1818) 69才 江戸に出て日本橋小舟町に居を構える。倉田葛三より春秋庵を嗣号し、
春秋庵四世となる。
文政元年(1819) 70才 江戸にあって春秋稿を出版す。
2014/5/26(月) 午後 8:11返信する
文政七年(1824) 75才 春秋庵を児玉町の俳人久米逸淵(五世)に譲る。信濃へ旅行す。
妻やう死去。この頃江戸を引揚げ故郷馬場村ぺ帰る。
文政十二年(1829) 80才 この頃より俳画をよく描き、特に梅と亀の絵が得意であった。後世彼
の後を継いだ三森幹雄磐城国に生る。
2014/5/26(月) 午後 8:16返信する
天保元年(1830) 81才 上毛へ句作の旅に出る。碩布発句集二冊及び春秋稿八冊を出版す。
天保十四年(1843) 94才 十一月九日残。妙玄寺に葬らる。
2014/5/26(月) 午後 8:21返信する
金衛門後 ち七郎兵衛と改め 河庵(一に可庵)磊庭檀寮六気庵蓬首梅翁等と号し、
寛保4年、延享元年2月21日 -
1744年といくつか記述されているが、
1843年94歳(十一月九日歿 妙玄寺に葬らる。)から
1749年、寛延2年と推定記載されている。 幼年期からの資料が発掘されればさらに状況が補完されるでしょう。
天保十四年癸卯十一月九日
干支 : 癸卯
日本(寛政暦)
天保14年
2014/5/27(火) 午前 5:04返信する
山根連なる社中を起して門弟多数を養った
.川村家は臥竜山の西方で、毛呂土佐守顕繁の居城の跡「堀の
内」のすぐ西である、この城を山根城と呼んだので、碩布も山根城西可庵碩布などとも称した。
2014/5/27(火) 午前 5:12返信する
Ru?
敷49
ゐ
177
為
い
2014/5/27(火) 午前 5:46返信する
久須之一言?
2014/6/10(火) 午後 0:48返信する
国
國
http://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/EXT/3401/000/0071/12/00000005/00351316.bmp
静岡県立中央図書館 くずし字解読講座 テキスト一覧(古文書解読)
www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/contents/history/kuzushi.html
くずし字解読講座 テキスト一覧(古文書解読) ... 0, 古文書(くずし字)を読めるようになるには (21kbyte) pdf, イントロダクション, -. 1, 仮説を立てて読む (38kbyte) pdf ... 歴史の知識とくずし字の知識を合わせて読む, A. 13, 文章を読む9 (68kbyte) pdf, 仮説を ...
http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/data/open/cnt/3/59/1/kz02.pdf
、「囗(国構え)」の中に「王」が入っているので、これは「国」?
2014/6/10(火) 午後 4:51返信する
於羅 [ ] 陀
おら ( ) だ
http://jakartan.cocolog-nifty.com/photos/jakarta_tempo_doeloe/arsip_nasional.html
2014/6/10(火) 午後 11:03返信する
季刊皿山
http://rekishi.town.arita.saga.jp/download-sarayaman.html
2014/6/10(火) 午後 11:34返信する
古文読解の復習法②
http://blog.benesse.ne.jp/manavision/blog/goukaku/2010/08/post_126.html
2014/6/10(火) 午後 11:38返信する
オランダ、新聞800万スキャンを開始! | 2008-05-26 | Time-AZ
time-az.com/main/detail/14823
2008/05/26 - オランダのDutchNewsは、オランダの首都デン・ハーグにあるロイヤル図書館( Koninklijke Bibliotheek)が2008年5月26日に、 ... 近代史は、日本の古文より、中世ドイツ、中世ラテン語ができないと、研究ができなくなる可能性も出てきた。
2014/6/10(火) 午後 11:49返信する
文政十一年のスパイ合戦
www.hatais.com/topical/index.html
文政十一年のスパイ合戦』の著者、秦新二がオランダのライデン国立民族博物館を訪ねたのが十七年前。そこに未整理 ... ハーグ国立古文書館で、シーボルトが間宮林蔵に宛てた手紙を発見すると、一度も会ったことのないはずの二人に面識があることが判明。
2014/6/10(火) 午後 11:50返信する
書道三体字典 - So-net
http://www013.upp.so-net.ne.jp/santai/syoukai.htm
2014/6/11(水) 午前 6:54返信する
書道三体字典
http://www013.upp.so-net.ne.jp/santai/santai.htm
2014/6/11(水) 午前 7:02返信する
蘇軾(そしょく)・黄庭堅(こうていけん)・米?很(べいふつ)は、
北宋の蘇黄米(そこうべい)といわれる三大家です。
この時代になると、筆の力で表現することが主となり、
石の時代は、終わりを告げます。
http://www1.ocn.ne.jp/~bihou20/28201.html
2014/6/20(金) 午前 9:39[ ATS ]返信する
古医方経験略口義 : 疫門 / 権田[直助] 講説 ; 宮西諸助 [ほか]筆記 ; 井上頼圀 校訂
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_00541/index.html
2014/6/26(木) 午後 0:53返信する
[PDF]
Page 1 Page 2 …学者権田直助は` わが毛呂川町が生んだ ...
www.library.moroyama.saitama.jp/.../pdf/naosukesenseiden.pdf
学者権田直助は` わが毛呂川町が生んだ偉人. である。 直助は文化六年 (離 八〇九) 語呂本郷の. 医師権田嘉七郎の子として姫まれ、 家業の医業に. 励んだのは紺ちろんであるが、 幕末から明治維新. にかけては勤皇の志士として~ 又国学者として『. あるいは ...
http://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/naosukesenseiden.pdf
2014/6/26(木) 午後 0:54返信する
しかし、伊勢原でも、誕生地の毛呂山町でも、直助のことを知っている人は少ない。「きちんとした記念碑が建立させれているにも拘わらず・・・」である
http://saiseigo1.blogspot.jp/2012/04/blog-post_29.html
2014/6/26(木) 午後 0:59返信する
久須志神社(くすしじんじゃ) (青森県弘前市元薬師堂)
阿弥陀三尊を主尊とする石塔婆で、南北朝時代中期 応安四年(1371)の紀年銘がある。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7460/aomori-hirosaki-kususisya.html
2014/7/3(木) 午前 8:41[ ATS ]返信する
明治以前
の墓碑、文献・史書にも「寺子」という名はなく「筆子」が使われていた。
http://www.olff.net/ina19/19ki-zaigakutyu/1gakusyu/1-5kadai-gakusyu/kadai-2furuden/kadai-furuden-2-edokikyouiku/furuden%201han.pdf
2014/7/23(水) 午前 8:31[ ATS ]返信する
教育と
学ぶはその姿勢が必ずしも同じではない。
その後の評価でその結果が評価されるのだろう。
そこで、過去の文責と評価が大切となる。
顧みないとその結果が報いとなる。
2014/7/23(水) 午前 8:38[ ATS ]返信する
12.関係資料
●久伊豆神社誌稿 ―旧江ヶ崎村惣鎮守久伊豆大明神―
矢島忠男 著 発行 久伊豆神社
●さきたま文庫64 久伊豆神社《蓮田》 田村敬 著 さきたま出版会
●蓮田の伝説(2) 中里忠博 著 私家版
2014/7/23(水) 午前 8:53[ ATS ]返信する
1790寛政二年春、如舎白雄全集、選
鍛冶がうめ はつ牛かけて 咲くにけり
江都 几秋
AY9p66
住
佳
つまにわかれし此秋を
むさし野に 住かひもなや けふの月
妻に分かれし この秋を
武蔵野に 住甲斐もなや (今日)の月
2014/8/31(日) 午前 7:17[ ATS ]返信する
左側面
1797寛政9丁子(ひのと ね)ていし54、4月24日俗名 樽(木+尊)崎正右衛門備寛
1783天明三癸卯みずのとう(印刷と違うので原典と照合要[卯天])12月14日
同人妻 エツ
正面
活水院胡漢現成居士
梁岸院桁山元棟大姉
右側面
施主
川村七郎平文久妻 ヤウ
東都京橋 両親塔
AY9p67
2014/8/31(日) 午前 7:55[ ATS ]返信する
[PDF]
「根岸家長屋門」 - 熊谷デジタルミュージアム
www.kumagaya-bunkazai.jp/.../cr01negisikenagayamon_webt.pdf
昭和54年5月14日に文化財建造物として指定された「根岸家長屋門」の保存修理工事 の報. 告書をここに刊行致し .... 根岸家が所在する冑山地区は埼玉県の中央部に所在し 、比企丘陵の東北で標高が 40m前後の起伏多い台地上にあ. る。一部山林を含む ...
2014/8/31(日) 午前 8:08[ ATS ]返信する
女子(宵山の根岸家へ嫁す)
p6
その根岸家は現在未確認
https://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/kawamurasekifu_syunzyuan.pdf
2014/8/31(日) 午前 8:16[ ATS ]返信する
六梅百句(碩布の代表作)
https://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/kawamurasekifu_syunzyuan.pdf
今でも梅園の梅林のごとき風情が、当時にも周辺には梅が身近に感じられる環境があったのであろう。
2014/8/31(日) 午前 8:22[ ATS ]返信する
白梅
山松に 空とぢられて 梅白し p11
白梅や 見る由なしに 只一木 p12
白梅の 庭に倦たる 気色かな p13
金銀の 花に見えけり 風の梅
白梅や 善は急げと 咲にけり p17
白梅の 一荒はれし 気色かな p19
白梅や 茨隠れに ちり終る p20
紅梅は詠まれてない。
この辺りも、往時を忍ぶ情景の一であろうか。
https://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/kawamurasekifu_syunzyuan.pdf
2014/8/31(日) 午前 8:41[ ATS ]返信する
陀羅尼(経文)で、あかつきどき(暁時)ゆ(云)うは、ゆうぐれ(夕暮)と聞(こ)えけるこそ、たふとけれ。
しきりに尊く信濃の御仏を拝したてまつらむと、高崎の客舎をたち(立)出(で)たる草枕のう もうろう こ しば
へぞ、さはがしき。頃しも朦朧たる空に、月日の光をねがひ(い)、竜神に小柴さしつy、碓氷川を
八重に渡りて、
さみだれの 山路の程ぞ 覚お ぼ つかな
2014/8/31(日) 午前 9:11[ ATS ]返信する
明和元年(1764) 15才 俳諧を好み、河庵と号す。
1788天明八年の頃、白雄が碩布の 檀寮を訪ねる(AY8p**,AY9p66)
碩布も山根城西可庵碩布などとも称した。
寛政六年(1794) 45才 この頃家業よりも俳諧に打込み、俳諧の先達となり、多くの門弟を擁し、山根連を興す。
碩布
川村碩布
川村七郎文久
俳号:其水(きすい:碩布の母)
薫るかな 杉の下風 吹通す
鷹飛て 柘植に身を啼 雀かな
俳号:几秋(きしゅう:やを:碩布の妹)
つまにわかれし此秋を
むさし野に 住かひもなや けふの月
几秋
蕉翁に園女あり、鳥酔に星布あり、几秋あれど其師おとりぬるぞくちをし。
http://members.jcom.home.ne.jp/michiko328/sekifu.html
2014/8/31(日) 午前 9:13[ ATS ]返信する
其水(きすい)阿諏訪村伊理宗左衛門の娘で川村金左衛門宗孝の妻、碩布の母
阿諏訪の伊理家の墓地周辺にも句が刻まれたものにも思いを馳せることができるのだろうか。
過去にそれらが正確に読めるものとして保全されているのであろうか。 まだそれらの目にする機会がないので、注目している。
2014/8/31(日) 午前 9:24[ ATS ]返信する
山かげや ふいと千鳥に 日のあたる ムサシ 碩布 AY9p93
文化八年 隋斎筆記抜書 (仮題:一茶の俳諧書留、一茶全集、七巻)に収録
夜が明けて 灯燈ふきる 柳かな 武州 碩布
2014/8/31(日) 午前 9:40[ ATS ]返信する
本書を出版するのに当り、祠号などについて、三森準一氏宛書面を送ったとてろ、折返し、準一
氏未亡人三森きくゑ氏より返書があった。それによると準一氏は昭和二十年三月九日深川区冬木町
において戦災に遭い、白雄翁の軸を始め、多くの貴重な文献を失ったという。又四月十二日、五月
廿五日にも戦災にあったようである。準一氏は昭和四十一年二月二十三日他界されたが、幸にも春
秋庵の号は、前以て鈴木保雄氏に伝えられた。したがって春秋庵十一世は鈴木保雄氏である。次で
鈴木保雄氏にも書面を送り、種々御教示をうけた。
https://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/kawamurasekifu_syunzyuan.pdf
2014/8/31(日) 午前 9:55[ ATS ]返信する
直助が医者として生きる自負や決意を歌ったもの。落款(署名)に「武野草医」(武蔵野の田舎医者)とある
(個人蔵)
http://www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/1358482664374/html/common/other/50f8cd66004.pdf
ムサシノ草くすし
源 直助
2014/11/10(月) 午前 10:13[ ATS ]返信する
何方(?)何方迄 相廻し可申哉
http://books.google.co.jp/books?id=lFdy7wLNYn8C&pg=PA88&lpg=PA88&dq=%E4%BD%95%E6%96%B9%E9%80%9A&source=bl&ots=P9owzGeIwh&sig=lsbhfQFwigZBLmInBlTCSxknH_8&hl=ja&sa=X&ei=SRFgVOC_HsLfmAX3loGQCQ&ved=0CB8Q6AEwAg#v=onepage&q=%E4%BD%95%E6%96%B9%E9%80%9A&f=false
2014/11/10(月) 午前 10:19[ ATS ]返信する
撰要類集 3 - Google ブック検索結果
books.google.co.jp/books?isbn=4797104872
辻達也 - 1979
藤左衛門 V !相渡、町触申付^火之"兀見廻"之与力、同心之事一本所筋御成之節"、 何方 6 何方迄相廻」可申哉一品川筋之節^、右同断一中野筋之節^ ^、右同断撰要類集 六御蘭^部而御成之部 撰要類集六御?嶽野都而御成之部 一六九一品川筋 ...
2014/11/10(月) 午前 10:20[ ATS ]返信する
妙法院日次記 12 - Google ブック検索結果
books.google.co.jp/books?isbn=4797112832
1996
妙法院日次記第十二宽延四年八月此趣相背候八、、急度可申付候、但、瓦買調之儀者 、是迄之通何方二而成共相調^申^、: ^ ;帥之^、^义之: ^一^扣^ ^ ,右之趣、洛中洛外、 雜色町代 19 可申通候事、未七月廿五日廿七日、辛卯、晴、當番、 I 冊 II ,初瀬川采女.
2014/11/10(月) 午前 10:21[ ATS ]返信する
何方(いずち)も何方も
どこへでも。どこへなりとも。
「―、足の向きたらむ方へいなむず」〈竹取〉
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/11597/m0u/
2014/11/10(月) 午前 10:28[ ATS ]返信する
百人首
「 百人一首 」に同じ。
http://www.weblio.jp/content/百人首
権田直助p62
2014/11/12(水) 午後 0:04[ ATS ]返信する
文久二年(壬戌)1862年みずのえ いぬ
2014/11/12(水) 午後 0:36[ ATS ]返信する
壬戌日乗
base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID...C...IMG...
【壬戌日乗】. 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 16, 17, 18, 19, 20, 21, 22, 23, 24, 25, 26, 27, 28, 29, 30, 31, 32, 33, 34, 35, 36, 37, 38, 39, 40, 41, 42, 43, 44, 45. コマ/全45コマ, ヘルプ ...
2014/11/12(水) 午後 0:37[ ATS ]返信する
壬戌日乗
http://school.nijl.ac.jp/kindai/UDMO/UDMO-00011.html
1862文久2年壬戌:山根住吉四所廟:神社:神官を襲ぐ:宮崎高純、進:椿垣斎:M30-738:
無題
[ ATS ]
2014/7/3(木) 午後 7:10
権田直助、毛呂山町史料集、第5集,p27
門人 野城廣助の日記
(壬戌日乗)
加年奈月中乃六日誉理
野城廣助
記名
越[廼]舎中
十六日時 昨日 田中氏五味氏 [ ]
http://blogs.yahoo.co.jp/ogw3ogw3/MYBLOG/comment.html?p=2
2014/11/12(水) 午後 0:40[ ATS ]返信する
鹿児島県下幕末維新期史料調査 syoho25-saiho
www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/.../25/saiho_KAGOSH~1.HTM
地 —2103 幕府目録 内表紙に「文久二年壬戌十月二日造之、幕府日記 一 起文久二 年閏八月二日、尽同年十二月廿九日 源久光白記」とある。島津久光の記した .... 文久 三年薩英戦闘(虎嘯)日乗 文久三年六月二十七日より記述が始まる。以下内容を示す。
2014/11/12(水) 午後 0:44[ ATS ]返信する
文治元年(1185) - 吾妻鏡入門第三巻 - FC2
adumakagami.web.fc2.com/aduma05-10.htm
現代語文治元年(1185)十月大十三日壬戌。 ..... 参考水尾谷十郎は、水尾谷十郎廣徳 で、埼玉県比企郡川島町76廣徳寺が館跡と云われ、水堀や空堀が現存。 ...... かつて 民間で用いられた狩装束が、簡便さと軽快さから公卿に取り入れられ日常着となった。
2014/11/12(水) 午後 0:57[ ATS ]返信する
天地の声壬戌 | - TeaCup
red.ap.teacup.com/tomo-tomo/858.html
2013年4月26日 ... 今日は干支の上では壬戌と言う干支がまわっている日です。 そして今日は2013年 最大の!パワー! ... 天体でも宇宙でも、パワーあふれる日の今日の干支は壬戌です。 この干支はですね ... 日常に役立つ開運カレンダー リピート率大です!
2014/11/12(水) 午後 0:57[ ATS ]返信する
「仝」はれっきとした漢字です。
「同」に通じて用いられます。
JISが「々」などと同列に、記号のように扱ったのは大間違いです。
ちなみにUnicodeではCJK統合漢字の中、4EDD「仝」、4EDE「仞」、4EDF「仟」…と、「人」部に置いています。
中国唐代の文人・学者の盧仝(ろどう) は有名です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E4%BB%9D
もちろん「ドウ」という音があり、「仝上」(=「同上」) のように使われます。
「々」(同の字点) が直前の字の反復を示す記号で決まった読み方が無く、「々上」などと使うことができないのと全く違います。
「喧々囂々」=「喧喧囂囂」ですが、もし「喧仝囂仝」と書いたら、「喧同囂同」ということになります。
「同」の異体字だそうです。
「々」とは違い、漢字です。
だから読み方は「同」と一緒で「ドウ・おなじ」です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1114869856
2016/1/8(金) 午後 8:54[ ogw*og*3 ]返信する
冬: 雪 六つの花 雪の花 細雪 豪雪 粉雪 雪野 根雪
http://www.sky.sannet.ne.jp/da-makiracchi/haiku/kigo.htm
2016/1/9(土) 午前 8:09[ ogw*og*3 ]返信する
六ツの花*1あけほの早きにほひかな
七十五老
曽木
http://www.ranhaku.com/web06/07culture_sports/01mus00image002-s.jpg
http://www.ranhaku.com/web06/07culture_sports/01mus01.html
2016/1/9(土) 午前 8:13[ ogw*og*3 ]返信する
『後拾遺和歌集』第六、冬
山里のあられをよめる
400 とふ人の なきあしぶきの わがやどは ふるあられさへ 音せざりけり
http://www2u.biglobe.ne.jp/~heian/kenkyu/waka-rokunintou/roku-people/waka/tosituna1.htm
2016/1/9(土) 午前 9:37[ ogw*og*3 ]返信する
ざり
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/intro/jodousi03.html
2016/1/9(土) 午前 9:59[ ogw*og*3 ]返信する
碩布
を名乗るは少なくても2名は紹介されている。
布を含む俳号(はいごう)、庵号 あんごう
をよくみかける。 さてどんなものがあるのだろうか。
可布
布袋庵
2016/1/18(月) 午前 8:44[ ogw*og*3 ]返信する
そして、その中に黙して涙する一人の男性の存在を認識しなければならない。
『中田家系図』によれば天保五年三月十一日四七歳で死去した妻知勢 (戒名青蓮院妙浄)の夫中田与三左工門敏行、後改抽知号二閑である。
知勢は加舎白雄の高弟として雨塘(二世)を名乗る俳人、蘇我野の海船問屋、小河原清左工門長栄を父に、九十九里粟生の大網元飯高惣兵衛、俳号覇陵の娘たみを母に持つ女性であった。
抽知は当山扁額慶事には当初より中田作右衛門に取次を任せ喪に服す日々を過ごす。
http://www.je1ysy.com/Img/Tfuukei/QOJ_files/hakkakuname.html
2016/2/14(日) 午前 9:35[ ogw*og*3 ]返信する
九鬼周造における「風流」の構造
http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/3826/1/kyoyo90_daito.pdf
2016/3/4(金) 午前 7:05[ ogw*og*3 ]返信する
風流の初やおくの田植歌 芭蕉
連句について
http://www.bashouan.com/pqRenku.htm
2016/3/4(金) 午前 7:13[ ogw*og*3 ]返信する