句碑:助力:じょりょく:板碑:青石:採掘場:流山の板碑も青石系:

句碑:助力:じょりょく:板碑:青石:採掘場:流山の板碑も青石系: - 車QF - Yahoo!ブログ

句碑

青石石材採掘遺跡:埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷1083
http://www.ksky.ne.jp/~matu-3/38nogami.html


下里石(霜里「明治以前の名称?」)

古くから石材が採掘されている周辺には石材の加工を生業にする方々がいたようで、亀井で見かけて
石碑に下里・石工・清水***と刻まれたものもみかけている。

石工とかその出身の地名などまで刻まれたものは多くないようだが、少なからず参考になるものがあり
そうだ。






助力:じょりょく:


[20140506]
流山の板碑も青石系:

先日、[20140503]訪れた、流山市のお寺にも板碑が紹介されていた。

ボランティアで案内をさる方々が偶然居られて、板碑などと石材の流れを
紹介して下さった。 メモを取ってないので、記憶を頼りに再度サーチしてみる
必要がある。

青石のルートは荒川上流にあるようだ。 さすがに船などで運ばれてきているとすれば、
厚さ、大きさは比企一帯にあるのもとは違った趣がある。 刻まれている内容も少し様式が
ことなるようだ。 写真での紹介は1件だったが他にも複数あるとのこと。

 

 

 コメント(57)

    

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山 路 來 て 何 や ら ゆ か し す み れ 草 芭蕉翁 

深谷市仲町三‐二 春山茂一郎氏宅 

http://homepage1.nifty.com/tsoutaro/basyou/08.htm

2011/10/24(月) 午後 0:34ogw*og*2返信する

    

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古 池 や 蛙 と ひ 込 む 水 の 音 

大里郡寄居町鉢形 浄恩寺 



11‐22‐0143

http://homepage1.nifty.com/tsoutaro/basyou/08.htm

2011/10/24(月) 午後 0:36ogw*og*2返信する

    

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久米 逸淵 くめ いつえん
たふれ木に ?れて雪の 殘りけり

最大47.0㎝
寛政2年(1790)生~文久元年7月20日(新暦 1861年8月25日歿
児玉郡八幡山町(児玉町八幡山)の旧家久米家に生まれる。名は

2011/10/24(月) 午後 0:39ogw*og*2返信する

    

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久米清一郎・清右衛門、俳号は可布、後に逸淵、瓢箪や椿を愛し、瓢箪居・椿老人等と称した。
若くして俳諧毛呂山の川村碩布の弟子となり頭角を現す。文政11年(1828)3月、師より春秋庵を譲られ、5世を継ぎ春秋庵可布と名乗る。上州高崎に出て開庵し業俳となり地盤を築く。
天保9年(1838)、富処西馬に文台を譲り、江戸の木挽町に出て可布庵を開庵し、小林一茶や田川鳳郎等と交わる。
天保12年(1841)、斎藤南々『蝉塚集』に、嘉永5年(1852)、小林一茶の『おらが春』に序文を寄せたことで有名。 
安政3年(1856)、本庄宿に隠退し、戸谷双烏と交遊した。

2011/10/24(月) 午後 0:40ogw*og*2返信する

    

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安政5年(1858)には郷里児玉の八幡神社に念願の鉄製の芭蕉句碑を建立し、句集『すみれ塚集』を刊行した。晩年児玉村に帰り死去。
門弟に高崎の富処西馬、玉村の羽鳥半海、水沼村の下平可都三、本庄宿の小倉紅於、深谷市中瀬の斎藤南々、江戸の遠山弘湖がいる。
文久2年(1862)、一周忌集『椿塚集』が刊行され、文久3年(1863)、三回忌には行庵洒雄が追善集『かりかね集』を刊行した。慶応3年(1867)、逸淵の遺子久米信則によりこの七回忌追善『逸淵発句集』が編集刊行された。発句600句、和歌が若干収録されている。

http://www.kohkosai.com/syuuzouhin/kaisetu/jiku-japan/kume.htm

2011/10/24(月) 午後 0:41ogw*og*2返信する

    

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信州佐久郡梓山村
p12/24
二子山、白石山
p18/24
秩父日記
https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/kicho/gazou/30-3.pdf

2011/10/24(月) 午後 1:50ogw*og*2返信する

    

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埼玉県立図書館 デジタルライブラリー
https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/index.html削除

2011/10/24(月) 午後 4:32ogw*og*3 ]返信する

    

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秩父日記 (チチブニッキ) 
渡辺渉園/著 嘉永6年(1853)序 秩父地域の旅行記 著者自筆の稿本

https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/kicho/syosai/030.html

https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/data/d_conts/index.html削除

2011/10/24(月) 午後 4:58ogw*og*3 ]返信する

    

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平村
http://ja.wikipedia.org/wiki/平村_(埼玉県)

お諏訪さま

秩父日記(渡辺渉園/著 嘉永6年(1853))に平村の記述がある
ただ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/平村_(埼玉県)
の記述と年代での整合性に検証を要するのではとみえる。削除

2011/10/24(月) 午後 5:03ogw*og*3 ]返信する

    

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1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、西平村、雲河原村が合併し比企郡平村が成立する。
1955年(昭和30年)2月11日 比企郡明覚村、秩父郡大椚村と合併し、比企郡都幾川村となる。
2006年(平成18年)2月1日 都幾川村玉川村と合併しときがわ町となる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/平村_(埼玉県)削除

2011/10/24(月) 午後 5:34ogw*og*3 ]返信する

    

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かくて 大野といふ村を過ぎて平村[ ]いたり山口氏

B5p8/40
かくて:
斯くて
このようにして
こうして

さてそれより削除

2011/10/24(月) 午後 8:47ogw*og*3 ]返信する

    

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[PDF] 
本 山 金 石 文 拓 本 選
www.kansai-u.ac.jp/Museum/naniwa/publication/book12.pdf
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
カラー図版. 7. 単色図版. 一般碑石. 23. 顕功頌徳碑. 29. 墓誌・墓碑銘類. 32. 墓碑類. 50. 板石・石塔婆類. 71. 石仏造像銘類. 78. 燈籠類. 82 ... 木崎愛吉旧蔵﹁坂本剛毅碑﹂拓本の意義│. 拓本解説 .... 31. 11. 島津義弘建立高麗陣敵味方戦没者供養碑 ...

2012/4/28(土) 午前 5:46ATS ]返信する

    

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芳地戸のふせぎは、江戸時代の享保6年(1721)に疫病が流行したことから始ったと云われている、悪魔払いの神事です。 春の彼岸の中日にあたる、春分の日に行われます。

http://ton-q.at.webry.info/200903/article_8.html

2012/4/28(土) 午前 5:55ATS ]返信する

    

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川越の歌と文学(4)
www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/uta4.html - キャッシュ
山上憶良歌碑 (埼玉の文学めぐり /武蔵野の万葉を歩く /新埼玉文学散歩・上 / 埼玉の文学碑 /万葉のさいたま散歩) 万葉占肩の鹿見 ... 文学碑 (埼玉の文学碑 / 川越の文化財66 /川越の文化財67 /川越の文化財68 /川越の文化財69 /川越の文化財70) ...... 夫婦の墓所は、東京深川の正覚寺にあり、嵐山町には辞世「あな涼し浮世のあかをぬぎすてて西へ行く身はもともくあみ」が刻された供養塔(県指定旧跡)が建つ。

2012/4/28(土) 午前 5:59ATS ]返信する

    

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[PDF] 
鎌倉街道とその歴史 中世の歴史薫る町 毛呂山
www.town.moroyama.saitama.jp/www/contents/.../4ca294b5008.pdf
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - クイック ビュー
地. 点. に「. 苦. 林. 宿. 」 が. 成. 立(. 現. 在. の. 大. 類. グ. ラ. ウ. ン. ド・. 県. 立. 毛. 呂. 山. 特. 別. 支. 援. 学. 校. 辺. り. ) し、. 通. 行. す. 鎌倉街道と .... 碑. も. 建. て. ら. れ. て. い. ま. す。 5. 0. 0. 年. も. の. 間、. 激. し. い. 合. 戦. に. つ. い. て. 語. り. 継. が. れていたことがうかがわれます。 苦. 林. 野. 合. 戦 ... 文化10年(1813)の供養塔. 堂山下遺跡 ...

2012/4/28(土) 午前 6:02ATS ]返信する

    

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きらず:おから:

2012/4/28(土) 午前 6:21ATS ]返信する

    

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助力
http://thesaurus.weblio.jp/content/助力
二村順二氏「石碑めぐり」へ その2へ 蒲郡市の徳本上人名号碑 2001年 ...
www.kajita-m.jp/0110gamagourisi%20no%20hi.htm - キャッシュ
ここの墓地に、ひときわ目立つ円柱の石碑がある。 南無阿弥陀仏梵字) 南江山浄夢教院 為観空諒音上人追善 謹継彼志願法界助力功成 元治子夏 現住跨空敬建 梵字では、阿弥陀仏を一字で表す時は、キリークで足りる。六字あることから、一音一字で表現 ...

2012/5/21(月) 午後 1:04ogw*og*2返信する

    

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野上三郎為氏の墓。自然石で何も彫ってない。
埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷辻
野上三郎と言っても祖は政経なので、為氏はその子孫だろうか。 
秩父志」には「野上下郷、遍照寺・野上左近将監開基」、「畠山重忠の臣、
大神館(下日野沢村)・野上六郎、野上遍照寺」とあるが、野上氏と遍照寺は
関係ないようである。(遍照寺由来)
野上下郷は板碑の材料青石(緑泥片岩)の産地

http://www.ksky.ne.jp/~matu-3/38nogami.html

2012/5/22(火) 午前 7:05ogw*og*2返信する

    

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下里の滝と芭蕉の句碑
http://blogs.yahoo.co.jp/sundbackroad/29226088.html

おらが句碑洗ふ菜の花誕生日
http://blogs.yahoo.co.jp/srh36422000/34313625.html

俳人羽鳥一紅句碑
http://blogs.yahoo.co.jp/npcsk058/23083787.html

2012/5/22(火) 午前 11:26ogw*og*2返信する

    

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明治以前、私の住む集落は「霜」に「里」と書いて「しもさと」と呼んでいましたが明治以後に「下里」になってしまいました。私は昔の字の方がよいので、私の農場名を「霜里農場」としています。

http://www.maff.go.jp/kanto/kihon/kikaku/kondan/tiikileader/2008/dai6kaitiikirida.html

明治23年2月、亀井村高野倉、石碑にある石工の出身地として「下里」とあり、上記の改名後と一致するのだろう。すでに23年以上経過すると定着していたともみれる。

2012/5/22(火) 午後 1:26ogw*og*2返信する

    

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地下1000メートルもの大深度から
掘り出された、およそ2億年前の中生代ジュラ紀に形成された地層の土が、

http://hiki-life.net/main/topics/topics03/030317/index.htm

2012/5/22(火) 午後 3:19ogw*og*2返信する

    

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埼玉の地形・地質―関東山地関東平野の縁を巡検―1。
www.geocities.jp/.../saitama070317.html - Cached - Translate this page
数百万年以上前の地層や岩石が、長い間風化して、なだらかな地形になっている。 ... 今日はジュラ紀の地層が秩父帯とジュラ紀の御荷鉾緑色岩が後期の火山岩で、これが中世代から新生代にかかる大変動に三波変成岩 ... 小川町の堂平山もクリッペである。

2012/5/22(火) 午後 3:33ogw*og*2返信する

    

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地質岩石探訪
www2u.biglobe.ne.jp/~HASSHI/tanpou.htm - Cached - Translate this page
姫路そうめん滝, 白亜紀 広嶺層群書写累層, 姫路市. 福崎町 「古宮」のチャート岩体, ジュラ紀 丹波帯地層群若井コンプレックス, 福崎町井ノ口. 岡部川~岩戸川 小さな川に多様な岩石, ジュラ紀 丹波帯地層群 ・ 白亜紀 生野層群, 市川町下牛尾. 柳田國男も遊ん ...

2012/5/22(火) 午後 3:42ogw*og*2返信する

    

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それと同じような地質は、天竜川、紀ノ川、吉野川の南岸を形成して、四国の西部まで続いていて、地質学上は「三波川帯」と呼ばれる。注意してみるとこの地質に沿って急傾斜の集落が点在するのようなのだ。この旅で訪れる埼玉県の石間を起点として、天竜川沿いの長野県飯田市上村、紀ノ川沿いの奈良県十津川村吉野川沿いの徳島県吉野川市美郷などがそうで、東西に 700km も離れているのに村の風景は驚くほどよく似ている。

http://www.sukima.com/24_yoshida/index.html

2012/5/22(火) 午後 5:21ogw*og*2返信する

    

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三波渓谷(2002.5)

都幾川村都幾川の流域に発展した町のようですが、明覚駅から都幾川沿いに道を上流に上っていくと、小川町と日高町を結ぶ県道交差点に出ます。これを横切り山のほうへ向かうと、あたりは急に山村らしいのどかな風景が広がるようになりますが、三波渓谷は交差点から数km先の右側にあります。最近駐車場も整備されたようです。

車から川までは50mぐらい。20段ぐらいの石段を下りると川ッペリ。美しい渓流です。三波の由来はこの周辺の岩がいわゆる三波石から出来ていることから来るものらしいですが、よくわかりません。

http://www.asahi-net.or.jp/~fe7m-ktym/kokunai/saitamagunbu.html

2012/5/23(水) 午前 1:12ogw*og*2返信する

    

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本地質学会 - 野外調査において心がけたいこと(08.10.7)
www.geosociety.jp › ... › 定款・規則類 - Cached - Translate this page
2008年10月7日 – 児玉郡神川町. 長瀞. 1924. 秩父郡長瀞町皆野町. 千葉県. 犬吠埼白亜紀浅海堆積物. 2002. 銚子市犬吠埼. 木下貝層 ... 佐渡郡小木町. 平根崎の波蝕甌甌穴群. 1940. 佐渡郡相川町. 清津峡. 1941. 南魚沼郡湯沢町中魚沼郡中里村 ...

2012/5/23(水) 午前 1:31ogw*og*2返信する

    

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菫青石【Cordierite:(Mg,Fe)2(Al3(Si5AL)O18】
分解して白雲母化が進んでいないため、亀岡市桜天神の桜石のように花びら状に
見えるものは少なく、ガラス光沢で、黒緑色です。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/mineralhunters/soiri.html

2012/5/23(水) 午前 8:42ATS ]返信する

    

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須賀広板碑 (埼玉県江南村)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~truffe/itabi.htm

2012/5/23(水) 午前 8:52ATS ]返信する

    

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行き当たりばったり北関東地質めぐりの旅(2日目) 6.車沢切崩
http://gomusai.seesaa.net/article/208427085.html

2012/5/23(水) 午前 8:58ATS ]返信する

    

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青石卒都婆
http://kosmochlor3.at.webry.info/200911/article_3.html

2012/5/23(水) 午前 9:06ATS ]返信する

    

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スレート? 建築現場などに置かれているのを見ますが、よく見るとこれらは紛れもない石です。薄くはがれる頁岩(けつがん)が沢山あるようです

http://www.w1vx.net/ja8ve/a5/jpg/13-6.jpg

http://www.w1vx.net/ja8ve/a5/a52_13.htm

2012/5/23(水) 午後 0:45ATS ]返信する

    

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鉱物・鉱石の標本 - 豊橋市地下資源館, 豊橋市視聴覚教育センター
www.toyohaku.gr.jp/chika/collection/tmnr/.../specimens.ht... - キャッシュ
亜鉛鉱は、鉄の含有量で、黒色・不透明なものから、黄褐色・緑色・白色・透明なものまであります。 結晶形や、斜めに走る割れ目、 ... 錫石は、ピカリと光る結晶面をもち、 風化に強く、重たい鉱物で、砂鉱として採掘されます。 現在は、ブリキ缶やハンダづけの ...

2012/5/23(水) 午後 1:18ATS ]返信する

    

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中央の経緯度 北緯35度59分36.8秒 東経139度17分57.8秒 この位置へのリンク http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.29938889489&latitude=35.99357070879

その石工・清水の地元下里には2軒ほどその苗字をみかけるがさて、その続柄はどうであろうか。

2012/6/17(日) 午前 5:56ATS ]返信する

    

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青石(板碑)の石材採掘遺跡

http://www.adachi.ne.jp/users/a.trm/hassyu.htm

2012/7/1(日) 午後 8:52ogw*og*2返信する

    

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青石石材採掘遺跡
埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷1083
山の中腹にある。採石場まで行く道は草に覆われて
おり、マムシが怖い。

http://www.ksky.ne.jp/~matu-3/38nogami.html

2012/7/2(月) 午前 6:38ogw*og*2返信する

    

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行ってきました。
小さいヘビにも遭遇しました。
マムシかどうかは確認するまがありませんでした。
帰りの下りでは幸いみかけませんでした。

その青石石材採掘遺跡は大きな岩体があり、一帯にその地層があるのでしょう。

下里石との特徴の差があればと思っていたのですが、見ただけでは難しそうです。

何か手掛かりを見出したいものです。

2012/7/2(月) 午前 6:48ogw*og*2返信する

    

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野上下郷(のがみしもごう)の山に板石塔婆の材石の採掘跡が二ケ所知られている。

中央の経緯度 北緯36度8分10.7秒 東経139度6分54.2秒 この位置へのリンク http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.11505555896&latitude=36.136317616416

2012/7/2(月) 午前 9:16ATS ]返信する

    

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秩父青石」の採掘は秩父長瀞の野上の山腹
http://jiji.txt-nifty.com/somame/2007/09/post_cbf3.html

2012/7/4(水) 午前 9:01ogw*og*2返信する

    

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小用
P=H3943
小用の廃寺とは何処であろうか。
近くにお寺の記号はあるがさて。

古の廃寺となると、遺跡調査の資料でないと見つからないだろう。


中央の経緯度 北緯35度57分59.3秒 東経139度20分4.5秒 この位置へのリンク http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=139.33459674939&latitude=35.966491710843

2012/10/24(水) 午前 6:55ogw*og*2返信する

    

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Ⅲ 青い(緑泥石片岩)板碑の文化 
Ⅲ-1 古墳石棺材・石室材を転用した板碑 
55 板石塔婆《板石塔婆24基のうち文永五年銘阿弥陀一尊種子板碑》【朝霞市指定】 文永5年(1268年) 東圓寺(埼玉県朝霞市
56 (写真)建長二年銘主尊不詳板碑 建長2年(1250年) 河原神社(埼玉県行田市
57 (写真)年不詳阿弥陀一尊種子板碑片 埼玉県熊谷市合羽山遺跡出土 熊谷市教育委員会提供
◎緑泥石片岩を使用した古墳石棺・石室 
58 (写真)石棺【川島町指定】 6世紀中頃 埼玉県川島町大塚古墳出土 諸岡 勝 氏提供
59 (写真)稲荷塚古墳の横穴石室 7世紀前半 嵐山町教育委員会提供

http://www.ranzan-shiseki.spec.ed.jp/index.php?page_id=224

2012/11/23(金) 午前 9:49ATS ]返信する

    

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流山の板碑も青石系:

青石のルートは荒川上流にあるようだ。 さすがに船などで運ばれてきているとすれば、
厚さ、大きさは比企一帯にあるのもとは違った趣がある。 刻まれている内容も少し様式が
ことなるようだ。 写真での紹介は1件だったが他にも複数あるとのこと。

2014/5/6(火) 午前 10:51ogw*og*2返信する

    

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俳諧 桃櫻(ももざくら)/夜半亭宋阿

http://ilacontents.lib.ibaraki.ac.jp/DB/shimodate/JPEG_html/index.html


和装本.上巻40頁・下巻45頁.元文四年(1739)作成.与謝蕪村が、20代前半に宋阿の下にいたことが分かる資料である。 (その頃の蕪村は、宰鳥と号しており、その号による俳句が見受けられる) 
27歳の時、師・宋阿が没すると、東北一周の旅をし、それを終えた蕪村は、下館・結城に約10年間滞在した。 俳諧とともに有名な画人蕪村の一面はここで磨かれたと思われる。(今も「追羽子図」などの習作が多数、地元に残されている)

2014/5/28(水) 午前 4:32ogw*og*2返信する

    

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戦時下、俳句界の苦悩 : 本よみうり堂 : 読売新聞(YOMIURI ...
www.yomiuri.co.jp/book/news/20140416-OYT8T50147.html
2014/04/25 - 戦争は俳句にどんな影響を与えたのか。古書情報誌「日本古書通信」編集長の樽見博さん(59)が、『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー)を出版した。戦前から戦中、終戦直後の俳句総合誌や結社誌、句集などを「自宅の6畳間がいっぱいに ...

2014/5/28(水) 午後 7:31ogw*og*2返信する

    

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俳句

http://www.watai.jp/mokuroku/bungaku/haiku.htm

2014/5/28(水) 午後 7:37ogw*og*2返信する

    

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いじめられ行きたし行けぬ春の雨

http://zentekido.on.omisenomikata.jp/diary/495696

2014/5/28(水) 午後 7:40ogw*og*2返信する

    

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日本古典資料調査データベース

http://www.nijl.ac.jp/pages/database/kotensiryoDB.htm

2014/5/29(木) 午後 1:21ogw*og*2返信する

    

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所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース

http://www.nijl.ac.jp/pages/database/

2014/5/29(木) 午後 1:24ogw*og*2返信する

    

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星をみる
鼻に雫や
天の川


大原源五

2015/1/7(水) 午前 1:10ogw*og*2返信する

    

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正元二年(1260)七月十一日に行末は死去した。その後、嫡男の伊行吉(ゆきよし)をはじめとして、末吉(すえよし)・末行(すえゆき)・行氏(ゆきうじ)

・行元(ゆきもと)・行恒(ゆきつね)・行長(ゆきなが)といった石工たちが伊(猪・井)性を名乗り、奈良文化圏を中心に優れた作品を残している。

http://www.geocities.jp/kawai24jp/index-iha-sakuhin.htm削除

2015/11/17(火) 午前 4:22ogw*og*3 ]返信する

    

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当時の狛犬の台座には「白川石工 茂右衛門」や、「石工堀川 芳村茂右衛門」の名が刻んだものも見られます。また、東京遷都後の京都における一大土木事業である琵琶湖疎水石工事にも関わっています。この頃から「石工 茂右衛門」という一人の職人頭の立場から少しずつ、大きな石工事を束ねる“石工集団のディレクター”的な役割が増えてきたと思われます。

http://www.kyoto-ishiya.com/architect/history.php削除

2015/11/17(火) 午前 4:50ogw*og*3 ]返信する内緒

    

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石大工は石工(いしく)とも言い、京都は京石工と呼びます。京石工は無論、古都京都の歴史的木造建築物の石仕事にも関わってきましたが、石工が商いとして町に定着し始めたのは、墓石や灯篭が庶民に普及し始めた江戸時代と言われています。 ※私たちの店も今から約280年前、享保年間の創業です。

京石工は大きく分けると、白川石の採れた北白川村の出身と桃山城築城の際に大阪(泉州)から伏見に移った石工の流れがあります。北白川村の石工の中には、仕事を求め町に出た者もいますが、私どもの先代も同じように村を出て、現在の堀川椹木町の場所に移り住んでいます。削除

2015/11/17(火) 午前 4:53ogw*og*3 ]返信する内緒

    

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関東地方の板碑(いたび)

http://www.geocities.jp/kawai24jp/index-itabi-kantou.html削除

2015/11/24(火) 午後 10:22ogw*og*3 ]返信する

    

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中世人の信仰
「松島町雄島海底採集の 板 碑 」いた び
中世の石造供養塔である板碑の造立は、関東の武士
団を中心に広まった仏教文化のひとつ。日本三景とし
て知られる松島の雄島では、海底に落ちた板碑が1000
基以上存在し、本学では松島町瑞巌寺と共同で収集・
調査を実施している。

http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/facilities/museum/pdf/annual_report2010.pdf削除

2015/11/24(火) 午後 10:28ogw*og*3 ]返信する

    

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板碑
いたひ、いたび

この板の表現が、はからずも、命名された石の板より古い、京都かその周辺で板でできた
板碑の原点かとみられるものが見いだされているとの情報も昨日聞かれた。

まだまだ、板碑の取り巻く状況は未解明の部分も多いが、その材料、石材産出の
一端が見いだされつつある。 それが、青石とも称される石材で長瀞町野上下郷(現地見学地)と今回現地見学した小川町下里(割谷地区)があるが。 さらに、小川町のその地域にはいくつかの採掘地があると紹介された。 

この板状に割れる石材は三波川帯を構成する広域変成岩の結晶片岩で片理の発達した下位のものが使われている。削除

2019/2/17(日) 午前 9:05ogw*og*3 ]返信する

    

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緑泥石片岩の特徴
緑泥石片岩は、海底火山から噴出した玄武岩質の溶岩や火山灰が堆積してできた岩石が、地
殻の変動で地中深くに沈み込み強い圧力を受けて変成したものである。そのときに受けた圧力
によって、それらの岩石は再結晶して緑色の鉱物(緑泥石など)を作り出し、それが平面状に
並んだことから、青緑色で薄く剥がれやすい性質(片理)が発達した。また、より変成度の高
い緑泥石片岩には、曹長石の白い点紋(斑状変晶)が見られる。
緑泥石片岩はその青緑色から「青石」と呼ばれ、薄く剥がれやすく加工しやすいという利点
から、縄文時代の石皿や石棒、石斧などの石器、古墳の石室や石棺、竪穴式住居の敷石やカマ
ド補強材、中世の板碑をはじめ、石碑、墓石、石垣、石段、水路、橋、貼石、飛石、庭園など
多くの用途を生み出した。 


https://www.town.ogawa.saitama.jp/cmsfiles/contents/0000002/2281/katsuyokeikak
u4.pdf削除

2019/2/17(日) 午前 9:07ogw*og*3 ]返信する