最古の宗教に関しては議論があるが
しかし、人々からは忘れ去られたとは言え、幸運にも多くの文献が残っている。歴史家や科学者は、宗教学者や翻訳家の助けを借り、この宗教に関する知識と歴史、習慣の再構築をおこない、そしてこの宗教がシュメール、アッカド、アッシリア、バビロニアの人々の日々の生活の中で果たした役割を探る努力が行われた。メソポタミアの宗教は後の宗教に多大な影響を与えていると考えられている。その影響はカナン人、アラム人、古代ギリシア人、フェニキア人の宗教、さらにユダヤ教、キリスト教、マンダ教、イスラム教などの一神教にも及んでいる。
少なくともアッシュール(Ashur)は4世紀まで信仰の対象となっていたことがわかっている[
https://ja.wikipedia.org/wiki/仏教の歴史
仏教の歴史(ぶっきょうのれきし)は、紀元前6世紀に始まり、今日現存する宗教のなかも最古の部類である。仏教は、ゴータマ・シッダールタの教えを基に、マガダ国(摩訶陀国。梵: Magadha。現在のインドのビハール州に存在)を中心とした古代インドの東部地域において発生した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/バラモン教
バラモン教(ばらもんきょう、英: Brahmanism)は、ヒンドゥー教の前身となった、ヴェーダを権威とする古代インドの宗教を指す[1]。ヴェーダの宗教(ヴェーダ教、英: Vedic religion)とほぼ同一の意味である
紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程でバラモン教が形作られたとされる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e8/Mappa_di_Eratostene.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/インド・アーリア人
https://plaza.rakuten.co.jp/pogacsa/diary/201804100000/
Mehrgarh:メヘルガル
https://www.for.aichi-pu.ac.jp/museum/pdf11/inui142.pdf
https://ja.wikipedia.org/wiki/ベヒストゥン碑文#
ダレイオス1世が反乱軍の王ガウマタに対して勝利したことを記念するレリーフ
描かれている人物は左から順に、槍持ち、弓持ち、ダレイオス1世。彼は僭称者ガウマタを踏みつけている。さらにその右に命乞いをする9名の反乱指導者がいる。左からアーシナ(エラム)、ナディンタバイラ(バビロニア)、フラワルティ(メディア)、マルティヤ(エラム)、チサンタクマ(アサガルタ)、ワフヤズダータ(ペルシア)、アラカ(バビロニア)、フラーダ(マルギアナ)、最後尾の尖帽をかぶっている人物はスクンカ(英語版)(サカ)
埴輪に尖帽を被るものが残されている。この類似性についても注目あり。
書上元博 page-5-1の緑泥石片岩の移動と埴輪の移動にも注目。
アーシナ(エラム)、 (Elam)
ナディンタバイラ(バビロニア)、
フラワルティ(メディア)、
マルティヤ(エラム)、 (Elam)
チサンタクマ(アサガルタ)、
ワフヤズダータ(ペルシア)、
アラカ(バビロニア)、
フラーダ(マルギアナ)、
最後尾の尖帽をかぶっている人物は
スクンカ(英語版)(サカ) Skunkha (Sacan)
https://en.wikipedia.org/wiki/Saka
https://ja.wikipedia.org/wiki/アラル海
アラル海の減少(縮小変化)
シル川(Syr Darya 、シルダリヤ), ヤクサルチィス川
Amu Darya, アムダリヤ
https://en.wikipedia.org/wiki/Saka
For the Achaemenids, there were three types of Sakas: the Sakā tayai paradraya ("beyond the sea", presumably between the Greeks and the Thracians on the Western side of the Black Sea), the Sakā Tigraxaudā (the Massagetae, "with pointed caps"), the Sakā haumavargā ("Hauma drinkers", furthest East). Soldiers of the Achaemenid army, Xerxes I tomb detail, circa 480 BC.[40]
アケメネス朝には、サカ族には3つのタイプがあった。サカ・タヤイ・パラドラヤ(「海の向こう」、おそらく黒海の西側でギリシャ人とトラキア人の間)、サカ・ティグラクサウダ(マッサゲタイ、「尖った帽子をかぶった」)、サカ・ハウマヴァルガ(「ハウマを飲む人」、最も東)である。アケメネス朝軍の兵士、クセルクセス1世の墓の詳細、紀元前480年頃。[40]
https://ja.wikipedia.org/wiki/メガステネス
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/historiai/megasthenes.html
サカラウロイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/アシイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/トハラ人
https://ja.wikipedia.org/wiki/フェルガナ盆地
FERGHANA
https://ja.wikipedia.org/wiki/ゾロアスター教
https://ja.wikipedia.org/wiki/マニ教
添付資料の解説文
マニ教の聖職者(「マニ教経典断簡」、タリム盆地・高昌故城出土、ミニアチュール、紙本著色、8-9世紀、国立アジア美術館(旧インド美術館)所蔵) 白装束に高帽子を被ったマニ教聖職者が、掛け布をひいたテーブルに座り写経をしている場面。背景には花が咲き、マニ教徒が聖餐に用いたブドウの実がなる。西アジア起源の宗教では、「3本の木」は生命の象徴で、欠落部には元々3本の木が描かれていたと推測される。中央の色紙形は後期ソグド文字。裏にも絵・経典が記され、マニ教関係書籍の扉頁または最終ページと見られる[1][2]
https://en.wikipedia.org/wiki/Manichaeism
ソグド
https://ja.wikipedia.org/wiki/ソグド人
ソグド人はシル川のサカ族と接触しており、アケメネス朝様式の模様がある絨毯などの遺物が発見されている[13]。
fragment32
断片32
Solinus 52, 36:
Ad montem, qui Nulo dicitur, habitant, quibus adversae plantae sunt et octoni digiti in plantis singulis. Megasthenes per di- versos Indiae montes sees scribit nationes capitibus caninis, armatas unguibus, amictas vestitu tergo- rum, ad sermonem humanum nulla voce sed latra- tibus tantum sonantes, asperis rictibus. [Apud Ctesiam legitur, quasdam feminas ibi semel parere natosque canos illico fieri, etc.]
fragment32
Solinus 52, 36:
At the mountain which is called Nil, they dwell, opposite to which there are plants, and eighty fingers in each plant. Megasthenes writes that he saw through the various mountains of India nations with the heads of dogs, armed with claws, and clothed in the clothes of the hinds, with no voice for human conversation but only barking, with harsh laughs. [At Ctesias it is read that certain women once gave birth there and the children immediately became gray, etc.]
フラグメント32
ソリヌス 52、36:
ニルと呼ばれる山に彼らは住んでおり、その向かいには植物があり、各植物には80本の指があります。メガステネスは、犬の頭を持ち、爪で武装し、鹿の衣服を着たインド諸国のさまざまな山々を、人間の会話のための声もなく、ただ吠えながら厳しい笑い声で見ていたと書いています。 [クテシアスでは、かつて特定の女性がそこで出産し、子供たちはすぐに白髪になった、などと書かれています。]
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shikizai1937/73/6/73_296/_pdf/-char/en
文 献
1)ジ ュゼ ッピーナ ・チエル ッ リ ・イ レッ リ,青 柳 正規,ス
テー フア ノ ・デ ・カー ロ,ウ ンベ ル ト ・パ ッパ ラル ド
編:ポ ンペイの壁画1岩 波書 店(1991).
2)ibid2
3)白 井長 二:色 材,58(6)364(1985).
4)国 原吉 之助訳:ブ リニウス書簡集,講 談社(1999).
5)ア ルベル トCカ ル ピチ ェーテ:ポ ンペ イ(図 録),パ ル
バ ラボネ キ社(1997).
6)ボ ツレ ツテ ィー ノ イ タ リア ニ ュー ス,19938月,9
月.
7)ヴ ル ウェー著 渡辺 秀 訳:ポ ンペ イ最後 の 日,中 央 出
版社(昭 和63年.7刷).
8)ウ イ トルー ウ ィウス著.森 田慶一訳注:ウ イ トルー ウィ
ウス建築書 第7書,東 海大学 出版会(昭 和44年).
9)ガ イ ウス ・プ リニウス ・セ ク ン ドウス著.中 野 定雄,中
野里 美,中 野 美代 訳:プ リニ ウ スの博 物誌33~35巻,
雄山閣(昭 和61年).
10)宮 下孝晴著:NHK人 間講座,フ ィレンツェ美の謎空 間,
NHK(1999).
11) T. G. H. JAMES : Egyptian Painting and Drawing in
British Museum, Harvard University Press (1986) .
12)H.キ ュー ン著 角 田文衛訳:人 類 と文 明 の誕 生,み すす
書房(昭 和33年).
13)植 松 安,大 塚 龍 夫著:古 事 記 全 訳p.105,国 民 教 育
会(昭 和9年).
14)日 本百 科大辞典12巻p.191,小 学館(昭 和39年).
15)福 岡管 区気 象台 発行:福 岡管 区気 象 要報,第51号 雲
仙普 賢岳 の火 山活動報 告(平 成8年3月).
16)堀 英道著:楽 しい鉱物 図鑑2p.83,草 思社(1997).
17)島 尾永康著:中 国化学 史p.143,朝 倉書店(1995).
18)神 農本草経 上巻,下 巻,大 阪府立 中之島図書館調.
Paweł Filipczak
An introduction to the Byzantine administration
in Syro-Palestine on the eve of the Arab conquest
7
№ XXVI
BYZANTINA LODZIENSIA
Series of the Department of Byzantine History of the University of Łódź
f o u n d e d b y
Professor Waldemar Ceran
in
1997
アラブ征服前夜のシリア・パレスチナにおけるビザンチン統治の紹介
The Sakas as subjects of the Achaemenid Empire on the statue of Darius I, circa 500 BC.
https://en.wikipedia.org/wiki/Darius_the_Great
上記年代記述の図は以下の参照URL
http://www.achemenet.com/pdf/arta/2002.005-loc.pdf
と違いがあるので、V20-3,Z1-6と訂正すると、解説の36年となる。
Darius Iのカルトーシュ:cartouche:の図もW25U33の次にX1があるが、
これも注意。
https://pharaoh.se/ancient-egypt/pharaoh/darius-i/
によると
Birth names
Personal name given at birth. Also known as the Nomen.
( W25U33E23M17M17V4M8A )|
とある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダレイオス1世
ベヒストゥン碑文の記録
https://ja.wikipedia.org/wiki/ベヒストゥン碑文
伊藤義教 訳「ベヒストゥン碑文」『古代ペルシア』岩波書店、1974年1月。ISBN 978-4007301551。
また、ダレイオス1世は、この碑文に登場する「至高神アウラマズダーの御意によって、王となりえた」と記し、一種の王権神授説を示している。このアウラマズダーは一般にゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーを指すとされ、ゾロアスター教が国の権威であることが示されているとされる[15]。ただし、アケメネス朝時代の宗教をゾロアスター教と定義することについては議論があり、様々な説が提出されている[注釈 2]。いずれにせよ、アケメネス朝時代の「ゾロアスター教」は後のサーサーン朝時代のゾロアスター教や現代のゾロアスター教とは大きく異なった姿をしていたと考えられており、また一元的な国教の存在を想定することはできないと考えられている[18]。
[18]
青木健『ゾロアスター教の興亡 -サーサーン朝ペルシアからムガル帝国へ-』刀水書房、2006年12月。ISBN 978-4007301551。
X8S34:p2499/2568: given life:ディアンフ:生命を与えられる者(4)西村洋子:20031005
I10X1N17:p856/2568: body:,----- :
S34 I10X1N17:p23-4b:永遠に 生きますように
祝辞:(7)西村洋子:20031003
S34U33M17:[anx]ti:アンフティー:「生きますように」
S34I10X1N17:[anx]dt:アンフージェト:「永遠に 生きますように」
S34U28S29:anx wDA snb
古代エジプト人の神々
ピラミッドと王権
古代エジプトと聖書 - 知恵文学の比較を中心として
神戸松蔭女子学院大学リポジトリ
https://shoin.repo.nii.ac.jp › record › files
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勝村弘也 著 · 2008 — 当時のエジプトはエチオピア. 人の王朝だったわけですが、このイザヤ書20章の前後、正確には18章あたりか. ら、エジプトに頼って外交政策を誤るとアッシリアの王
注
(1)本 論 考 は、2006年6月10日 に、 同志 社 大 学 一 神 教 学 際 研 究 セ ン タ ー(CISMOR)と
日本 オ リエ ン ト学 会 の共 催 で 実 施 され た公 開 講 演 会(場 所:同 志 社 大 学 神 学 館 礼 拝
堂)に お い て ロ頭 発 表 され た も の に相 当 の 加 筆 訂 正 を して 、 注 を付 け 、 論 文 の 形 に
整 え た もので あ る。 な お 文 体 は 、 講 演 の 際 の 「です ます 調 」 に統 一 した 。 ほ とん ど同
じ内 容 の研 究 発 表 は 、 す で に1997年12月13日 に 京 都 大 学 基 督 教 学 教 室 の 「ク リス マ
ス会 」 にお いて 「エ ジプ ト学 と 旧約 研 究 マ ア トの 解 釈 を 中 心 と して 」 と題
して行 な っ た こ とが あ る。 内 容 が あ ま りに も 多 方 面 に及 ぶ た め に、 論 文 と して 発 表 す
る た め に は調 べ 直 す べ き事 項 が 多 く、 今 日まで 文 章 化 す る こ とが 困難 で あ った 。
(2)『 古 代 エ ジ プ トの 栄 光 ナ ポ レ オ ン 「エ ジ プ ト誌 」 図 録 聚 英 』 雄 松 堂 、(1988年)。
同 じ主 旨 の英 語 版 は 、The Napoleonic Survey of Egypt, ed. by Terence M. Russel
in two volumes, Ashgate(2001}.
(3>た と え ば 、 イ ア ン ・シ ョー/ポ ー ル ・ニ コ ル ソ ン著 、 内 田 杉 彦 訳r大 英 博 物 館 古
代 エ ジ プ ト百 科 事 典 』 原 書 房(1997年)、 平 田寛 監 修 ・吉 村 作 治 訳 『図 説 世 界 文 化
地 理 大 百科 古 代 の エ ジ プ ト』 朝 倉 書 店(1983年)な ど。
(4)マ ー ク ・コ リア 、 ビル ・マ ン リー 著/坂 本 真 理 訳/監 修 近 藤 二 郎 『ヒエ ロ グ リ フ解
読 法 古 代 エ ジプ ト文 字 を読 ん で み よ う』 ニ ュ ー トンプ レス(2000年)、 秋 山慎 一 著
『古 代 エ ジ プ ト文 字 を 読 む 事 典 』 東 京 堂 出 版(2003年)な ど。 いず れ も西 欧 の 博 物 館
に多 く所 蔵 され て い る 「供 養 文 」 の 定 型 表 現 が 理 解 で き る よ う に工 夫 さ れて い る。
(5)治 水 ・灌 概 を統 制 す る た め に 専 制 国 家 が 生 ま れ た の だ とす る ウ ィ ッ トフ ォー ゲ ル
(Karl August Wittfogel:1896-1988年)の 学 説 が 代 表 的 。 彼 は ウ イ ー ン で 中 国 史 を
専 門 と す る マ ル ク ス 主 義 の 歴 史 家 で あ っ た が 、 ナ チ ス の 迫 害 に よ っ て ア メ リ カ に 亡
命 し た 。 と こ ろ が こ の 共 産 主 義 者 は 、 戦 後 反 共 思 想 家 に 転 じ た 。 こ の よ う な 彼 の 経
歴 と も 関 係 し て1960年 代 に は い わ ゆ る 「ア ジ ア 的 生 産 様 式 」 論 争 が 歴 史 家 た ち の 問
で 起 こ っ た 。 こ れ に は ソ 連 型 の 社 会 主 義 国 家 が 実 は 専 制 国 家 な の で は な い か と い う
当 時 の 知 識 人 た ち の 疑 念 が 関 係 し て い た 。 新 左 翼 の 登 場 と と も に こ の よ う な 論 争 は 、
吹 っ 飛 ん で し ま っ た の だ が 、 私 が 学 生 時 代 に 手 に し た 書 物 の 中 で は 、 ウ ィ ッ トフ ォ ー
ゲ ル 学 説 は 幅 を 利 か せ て い た 。
(6}Klaus Koch, Geschichte der A.gyptischen Religion, Kohlhammer{1993}
(7)Jan Assmann, Ma'at‐Gerechtigkeit and Unsterblichkeit im Alten Agypten
‐,C. H. Beck(1995Z}
(8)ヤ ン ・ア ス マ ン 著/吹 田 浩 訳 『エ ジ プ ト 初 期 高 度 文 明 の 神 学 と 信 仰 心 』 関 西 大 学
出 版 部(1997年)、 原 著 は 、Jan Assmann, Agypten:Theologie und Fr6mmigkeit
einer friihen Hochkultur. UTB 366, Kohlhammer X1991Z}.
(9)H・ フ ラ ン ク フ ォ ー ト、J・A・ ウ ィ ル ソ ン 他 著/山 室 静 ・田 中 明 共 訳 『哲 学 以 前
古 代 オ リ エ ン トの 神 話 と 思 想 』 社 会 思 想 社(1971年)
(10)旧 約 学 者 シ ュ ミ ッ ト の 著 作Hans H. Schmid, Wesen und Geschichte der Weisheit:
BZAW 101(1966>も 、 マ ア ト を こ の よ う に 理 解 し て い る 。
㈹ マ ッ ク ス ・ウ ェ ー バ ー 著/内 田 芳 明 訳 『古 代 ユ ダ ヤ 教 』 み す ず 書 房(1962-64年)、
p31/
岩 波 文 庫 か ら も出 て い る(1996年)
出 エ ジ プ トと は カ ナ ン の 地 で 起 こ っ た 「社 会 革 命 」 な の だ とす る メ ンデ ン ホ ー ル
(G.E. Mendenhall>と 、 彼 の仮 説 に 対 す るN, K. Gottwald, A. J. Hauserな ど の
反 論 、 修 正 な ど に つ い て は 、 荒 井 章 三 著 「イ ス ラ エ ル 脱 出 共 同 体 の辺 境 性 」 『キ リ
ス ト教 論 藻 』 第18号(1985年)7-14頁 を参 照 。
M・ ウ ォー ザ ー著/荒 井 章 三 訳 『出 エ ジ プ トと解 放 の 政 治 学 』 新 教 出 版 社(1987年)
は 、 米 国 プ リ ンス トン大 学 の 政 治 学 者 によ る こ の 「政 治 的 ス トー リー 」 の 近 代 政 治
思 想 へ のWirkungsgeschichte(影 響 史)の 叙 述 で あ る 。
(14}A.Erman, Eine agyptische Quelle der Spriiche Salomos"
, Sitzungsberichte der
Preussischen Akademie der Wissenschaft 15 (1924)86ff.;ders., Das
Weisheitsbuch des Amen-em-ope. Orientalische Literaturzeitung,1924,241ff.;
H.Gressmann, Die neugefundene Lehre des Amen-em-ope and die vorexilische
Spruchdichtung Israels, ZAW 42(1924)272-296.
㈲ こ の よ う な 事 情 に つ い て は 、 屋 形 禎 亮 訳 「ア メ ン エ ム ペ トの 教 訓 」 『古 代 オ リ エ ン
ト集 』 筑 摩 世 界 文 学 大 系1、546頁 以 下 の 解 説 を 参 照 。 こ こ に は 、 両 者 に 共 通 す る
祖 型 を 想 定 す る1.Grumachの 学 説 が 紹 介 さ れ て い る が 、 こ の よ う な 仮 説 は 現 在 で
は 受 け 入 れ られ な い 。 後 述 の 「5.箴 言 と エ ジ プ ト の 教 訓 文 学 と の 関 係 」 を 参 照 。
(16}Hans Wildberger, Jesaja 1-12, BK X/1(1972}362-389,436-476.
(17)詳 し く は 、 勝 村 弘 也 著 『詩 篇 注 解 』 日 本 基 督 教 団 出 版 局(1992年)111頁 以 下 を 参
照 。 詩 篇45篇 、72篇 、110篇 な ど も 同 様 の 傾 向 を も つ と さ れ る 。
(18)ホ セ ア 書8章4節 で は 、 王 制 を 神 の 知 ら な い 所 で 成 立 し た も の と す る 。
(19)列 王 記 上7章8節 。
⑳ 例 え ば 、 『新 教 タ イ ム ズ 聖 書 歴 史 地 図』 新 教 出 版 社(1993年)の 拙 訳 の部 分 、41-51
頁 を 見 よ
(21)列 王 記 上4章 。
(22?箴 言25章1節 に は 、 ヒゼ キ ヤ 王 の宮 廷 で 格 言 集 が 編 集 され た こ とが 告 げ られ て い る。
こ の 頃 に は ユ ダ 王 国 の 人 口が か な り増 大 して い た こ とが 考 古 学 の 方 か ら も確 か め ら
れ る。 これ は 社 会 構 造 が 変 化 した 間 接 的 な 証 拠 にな る。
㈱ エ レミ ヤ の 預 言 を 口述 筆 記 した 書 記 バ ル ク につ い て は よ く知 られ て い る(36章4節) 。
エ レ ミ ヤ 書36章 の 物 語 に は、 エ レ ミ ヤ に好 意 的 な 態 度 を 示 した 政 府 高 官 た ち の こ と
が 固 有 名 詞 入 りで 記 さ れ て い る。26章 の 物 語 で は 、 エ レ ミ ヤ に 死 刑 を求 め た の は
「祭 司や 預 言 者 た ち 」 で あ り、 「高 官 」 つ ま り官 僚 や 民 の うち の 「長 老 た ち 」 は 、 エ
レ ミヤ を擁 護 した と語 られ て い る 。
(24)イ ザ ヤ 書8章16節 。
(25)列 王 記 上11章41節 の 「ソ ロモ ン の 事 績 の書 」、14章19節 の 「イ ス ラ エ ル の 王 の 歴 代
誌 」、29節 の 「ユ ダ の 王 の歴 代 誌 」 な どか らも公 的 記 録 の存 在 が 確 認 さ れ る。
㈱ こ の 問 題 に 関 す る 論 争 の概 略 は 、 勝 村 弘 也 著 「知 恵 文 学 」 『現 代 聖 書 講 座 第2巻
聖 書 学 の 方 法 と諸 問 題 』182頁 以 下 を見 よ。
{27}G・ フ ォ ン ・ラ ー ト著/勝 村 弘 也 訳 『イ ス ラ エ ル の 知 恵 』 日本 基 督 教 団 出 版 局
p32/
(1988年)。
(287S・ フ ロ イ ト著/渡 辺 哲 夫 訳 ・解 題 『モ ー セ と 一 神 教 』 日 本 エ デ ィ タ ー ス ク ー ル 出
版 部(1998年)
(29) Hugo Gressmann, Altorientalische Bilder zum Alten Testament, Berlin and
Leipzig(1927)
(30)Othmar Keel, Die Welt der altorientalischen Bildsymbolik and das
Altetestamen七. Am Beispiel der Psalmen, Benzinger und Neukirchner(1972,
19003
G1>Othmar Keel, Das Hohelied(Zurcher Bibelkommentare:AT 18>(19922);ders.,
Deine Blick sind Tauben, SBS, S.114-115, Stuttgart(1984)
(32)雅 歌 が 世 俗 的 な 恋 愛 歌 集 で あ る こ と は 、 す で にJ.G, Herderが 指 摘 し て い た 。 勝 村
弘 也 著 「雅 歌 解 説 」 『旧 約 聖 書XIIIル ツ 記 ・雅 歌 ・コ ー ヘ レ ト書 ・哀 歌 ・エ ス テ
ル 記 』 岩 波 書 店(1998年)195-204頁 参 照 。
(33)リ ー セ ・マ ニ ケ 著/酒 井 伝 六 訳 『古 代 エ ジ プ トの 性 』(法 政 大 学 出 版)、 ポ リ ス ・デ ・
ラ ケ ヴ ィ ル ツ 著/谷 口 勇 訳 『古 代 エ ジ プ ト恋 愛 詩 集 』(而 立 書 房)。 英 語 へ の 翻 訳 は 、
J.B. White, A Study of the Language of Love in the Song of Songs and ancient
Egyptian Literature(Scholaars Press)Missoula(1978)を 参 照 。
(34)例 え ば 、 雅 歌(4章9節 、12節 、5章1節)と 同 様 、 女 性 の 恋 人 を 「妹 」 と 呼 ぶ 習
慣 が エ ジ プ ト に あ っ た 。 す で に1923年 に 先 に 言 及 し た エ ル マ ン が 両 者 の 類 似 に 気 付
い て い た 。A. Erman, Die Literatur der Agypter, Leipzig(1923).ド イ ツ 語 圏 で は
ヘ ル レ マ ン の 注 解 が 、 エ ジ プ ト の 宮 廷 文 学 や 図 像 と の 関 係 に 本 格 的 な 形 で 焦 点 を 当て た 最 初 の 注 解 で あ る 。G. Gerleman, Ruth, das Hohelied:BK 18, NeukirchenVluyn(1965)
(35>口 語 訳 、 新 共 同 訳 で は 、 シ ョ ー シ ャ ナ ー を 「ゆ り」、 バ バ ッ ツ ェ レ ト を 「ば ら」 と
訳 す 。
(36)列 王 記 上7章19節 で は 「シ ュ ー シ ャ ン」22節 と26節 で は 「シ ョ ー シ ャ ン」 と な っ て
い る が 、 同 じ 植 物 で あ ろ う 。
⑳ Othmar Keel, Deine Blick_..=注(31)S.64に は パ レ ス チ ナ の 地 誌 に 詳 し いG. H.
Dalmanの 説 が 紹 介 さ れ て い る 。
(38)講 演 で は 、 エ ジ プ ト出 土 「睡 蓮 の 間 で 草 を 食 む 鈴 羊 」 の モ チ ー フ を 示 す 前1190年 頃
の フ ァ イ ヤ ン ス 製 の 皿 な ど を 映 写 し た 。Othmar Keel, Deine Blick._.=注(31)S.
169の 図 な ど 。
p33/
(39)正 確 に は詩 篇45篇1節 、69篇1節 、80篇1節 は 「シ ョー シ ャ ンニ ー ム 」、60篇1節
は 「シ ュー シ ャ ン」 と な っ て い る。
㈲ ウ ル ガ タ 訳 は そ の よ う に訳 す 。
㈹ 拙 訳 で は 「酒 を見 つ め るな 。 そ れ は 赤 く輝 き、 杯 の 中 で き らめ く」 とな っ て い る が 、
「き らめ く」 と訳 した 箇 所 を直 訳 す る と 「そ の 視 線 を送 る」。
(42}創 世 記16章 の ハ ガ ル の 物 語 にお い て 「見 る 」 と 「泉 」 「目」 等 が 巧 み な こ とば 遊 び
に な っ て い る こ と に つ い て は 、 勝 村 弘 也 著 『旧約 聖 書 に学 ぶ 』 日本 キ リス ト教 団 出
版 局(1993年)55頁 以 下 を参 照 。
(43)講 演 で は 、 古 代 シ リ ア の 円 筒 印 章 。 前1750年 頃 の もの を 映 写 。Othmar Keel, Deine
Blick_..=注(31)s.148の 下 の 図 。
㈲Kee1, Das Hohelied二 注(31)S.188.
㈲ 例 え ば 、 ツ タ ン カ ー メ ン 王 の 墓 か ら 出 土 し た 象 牙 細 工 の 板 で は 、 フ ァ ラ オ が 王 妃 の
差 し 出 す 睡 蓮 と 恋 な す び の 束 の 匂 い を 嗅 い で い る 。 第11王 朝 時 代 の デ ン デ ラ の 小 神
殿 に は 、 ア モ ン 神 が 右 手 で ハ トホ ル 女 神 の 手 を 握 り な が ら、 左 手 で 女 神 の 鼻 先 に 睡
蓮 を 近 づ け て い る 。
㈲ 講 演 で は 、 エ ジ プ ト の 「死 者 の 書 」 第59章 よ り 「生 命 の 水 を 受 け る 死 者 」 の 場 面 を
映 写 。
㈲ 講 演 で は 、 エ ジ プ ト、 テ ー ベ 「ナ ク トの 墓 の 壁 画 」(前1400年 頃)か ら 宴 会 の 場 面
を 映 写 。
㈱ GerlemanやKee1以 外 に も 、 R. E. Murphy(Hermeneia)、 J. G. Snaith(NCBC)な
ど 最 近 の ほ と ん ど の 注 解 書 で 強 調 さ れ て い る 。
(49)D.Romheld, Die Lehren Amenemopes and Proverbien 22,17-24,22:BZAW 184
(1989)S.72ff.「 宰 相 プ タ ハ ホ テ プ の 教 訓 」 に 加 え て 「カ ゲ ム ニ へ の 教 訓 」(1,3-7.10)
と も 比 較 し て い る 。
{50)屋 形 訳=注(15)506頁 。The Ancient Near Eastern Texts relating to the OT
(1950)(略 号ANET)の ウ ィ ル ソ ン の 訳(J. A. Wilson)P.412、 お よ びHelmut
Brunner, Die Weisheitsbiicher der Agypter, Artemis Verlag(1991)S.114を 参 照 。
(5i)Brunner=注(50)S.104は 、 現 存 す る 主 要 な パ ピ ル ス は 中 王 国 時 代 の も の で あ る が 、
伝 承 は 古 王 国 時 代 に ま で 遡 る こ と が で き る と す る 。
(52)「 ア メ ン エ ム オ ペ トの 教 訓 」9・10-14.19;10・4-5。 屋 形 訳=注(15)552頁 、
Romheld=注(49)S.27ff, ANET=注(50)p.422.
(53)Nili. Shupak, Where can Wisdom be found?OBO 130(1993}p.297ff.
p34/
64)屋 形 訳=注(15)557頁 、ANET=注(50)p.424、 Brunner=注(50)S.252.
(55)「 ア ニ の 教 訓 」8・9-10。Brunner=注(50)S.209.こ の 節 を 含 む 箴 言16章 と エ
ジ プ ト文 学 と の 比 較 に つ い て は 、 勝 村 弘 也 「箴 言 に お け る 釈 義 上 の 問 題(2)」 『キ
リ ス ト教 論 藻 』 第33号(2002年)23-32頁 を 見 よ 。
(56)両 者 の 比 較 に つ い て は 、N。 Shupak=注(53)p.42ff.参 照 。
励 演 題 は 「一 神 教 、 汎 神 論 、 宇 宙 神 論 エ ジ プ ト神 学 の 「一・な る 者 」 を 考 え る 」
で1998年4月3日 、 関 西 大 学 に て 開 催 。
(5g}N. Shupak=注(53)
(59)Assman=注(7)S.24ff.
(60)カ ー ル ・ヤ ス パ ー ス 著/重 田 英 世 訳r歴 史 の 起 源 と 目 標 』 理 想 社(1964年)21頁 以
下 参 照 。
(61)Assman=注(7)S.28ff.
{62)Assman=注(7)S.58ff,
(G3)Friedriche Nietzsche, Zur Genealogie der Moral, in:Samtliche Werke Kritische
Studienausgabe Band 5, dtv de Gruyter(1980}5.291ff.
(64)よ く よ く 考 え て み れ ば 、 ま だ 起 こ っ て い な い 将 来 に 関 し て 責 任 を 持 つ な ど と い う こ
と は 、 神 で な け れ ば 不 可 能 な は ず で あ る 。 だ か ら こ そ ニ ー チ ェ は 、 人 間 を 「約 束 す
る こ と が 許 さ れ る 動 物 」 と 定 義 し た の で あ る 。 こ の 約 束 は 人 間 の 「不 確 定 の 未 来 に
自 己 を 結 び 付 け る 能 力 」 と 関 係 し て い る 。 こ の よ う な 約 束 を 忘 れ な い た め に は 、
「意 志 の 記 憶 」 が 問 題 に な る 。 忘 れ て し ま う と い う の は 、 あ る 意 味 で は 人 間 が 健 全
に 生 き て い る 証 拠 な の で あ る が 、 能 動 的 に 忘 れ ま い と ど こ ま で も 意 欲 す る こ と 、 一
度 意 欲 し た こ と を 意 欲 し続 け る こ と(ein aktives Nicht-wieder-los-werden-wollen,
ein Fort-und-Fort-wollen des einmal Gewollten, ein eigentliches Gedachtnis des
Willens)が 、 責 任 あ る 現 代 人 に は 求 め られ る わ け で あ る 。 し か し 、 こ れ ら す べ て
が 可 能 と な る た め に は 、 人 間 は 因 果 律 を 知 っ て い な け れ ば な ら な い 。 こ う し て 現 代
入 は 、 計 算 可 能 な も の 、 規 則 的 な も の 、 必 然 的 な も の を 確 定 し 、 そ の こ と に よ っ て
自 己 の 責 任 を 果 た そ う と す る の で あ る 。
65)Assman=注(7)S.63.
(66)Assman=注(7)S.92ff.に お い て 、 社 会 の 上 位 に あ る 者 か ら下 位 に あ る 者 へ と 働く 原 理 と し て の 、 保 護 、 分 配 、 慈 善 と下 か ら 上 に 働 く 原 理 と し て の 従 順 、 忠 誠 に つ
い て 詳 し く語 っ て い る 。 こ れ が 「垂 直 的 連 帯(Vertikale Solidaritat)」 で あ る 。
劒 屋 形 訳 「雄 弁 な 農 夫 の 物 語 り 」=注(15)430頁 以 下 、 他 に 矢 島 文 夫 編 『古 代 エ ジ
プ トの 物 語 』 現 代 教 養 文 庫(1974年)53-65頁 。
{68)こ の 文 学 作 品 の 写 本 は パ ピ ル ス に 記 さ れ た も の が い く つ か 残 っ て い る が 、 ベ ル リ ン
博 物 館 所 蔵 のB2と 略 さ れ る 写 本 の 第109-111行 に 当 た る の が 、 こ の3行 の こ と ば で
あ る 。 こ の 箇 所 の 原 文 を転 記 す る と 以 下 の よ う に な る 。
nnsfnwzfw
nnhnmsnzhnm;`t
nnhrwofrn `wn-jb
p35/
(69)英 語 で は 、ANET p.407-410.
σ0)Assman=注(7)S.63f.
㈲ 現 代 日本 の 薬 害 問 題 や 年 金 問 題 も これ と似 て い る面 が あ る。
(7の 「オ ア シ ス男 の 嘆 き 」 の写 本B1,109行 目 に あ る こ とば 。 Assman=注(7)S.62.
σ3)Assman=注(7)S.69ff. N. Shupak=注(53)S.277ff.「 宰 相 プ タ ハ ホ テ プ の 教
訓 」545-546行 目 「聴 く者 は、 神 に 愛 され る者 。 神 が 憎 む 者 は 聴 か な い」。264行 目以
下 で は 、 役 人 は 人 々 の 嘆 願 な い し請 願 を よ く聴 くべ き で あ る と教 え る 。 こ こ に は 嘆
願 者 は 要 求 が 全 部 実 現 しな くて も、 聴 い て も ら え た だ け で も喜 ぶ も の だ と 言 う心 理
的 な 洞 察 ま で が あ って た いへ ん 興 味 深 い。
σ4)箴 言15章31節 、18章15節 、20章12節 な ど。 箴 言 で は 教 師 の 語 る こ とば を生 徒 が よ く
聴 か な けれ ば な らな い と言 う例 が 多 い(2章1節 以 下 等)。
(15)Assman=注(7)S.85ff.
(7③ Klaus Koch, Gibt es Vergeltungsdogma im Alten Testament?ZThK 52(1955)
1-42.旧 約 に応 報 思 想 を 認 め る こ と は 、 常 識 で あ っ て 、 近 代 的 な 聖 書 学 に お い て も
例 え ば 預 言 者 た ち は 神 に よ る 応 報 を 前 提 に して 、 罪 を 犯 した イ ス ラエ ル に下 され る
べ き審 判 を告 知 し た の だ と され て き た 。
σ7)応 報 を め ぐ る論 争 の そ の後 の展 開 に つ い て は、 勝 村 弘 也 著 「応 報 か 、 行 為 ・帰 趨 連
関 か?」 『基 督 教 学 研 究 第18号 』(1998年)1-27頁 を 参 照。 さ らにBernd Janowski,
Die Tat kehrt zum Tater zurizck‐Offene Fragen im Umkreis des Tun-ErgehenZusammenhangs, ZThK 91(1994)247-271.を 参 照 。
(781Assman-_注(7)S.66、
σ9)Assman=注(7)S.138に よ る。 「死 者 の 書 」 の 翻 訳 に 関 して は 、 石 上 玄 一 郎 著
『エ ジ プ トの 死 者 の 書 』 人 文 書 院(1984年)、E. A, Wallis, Budge, Book of the
Dead, London{1910)Rep. ASM Press(1976};Erik Hornung, Das Totenbuch der
Agypter, Artemis(1990)な どが あ る 。
(80)実 は こ の こ とは 、 誰 が 記 念 碑 と な る 墓 を立 て る こ とが 出来 る の か と深 く関 連 して い
た 。 アス マ ン に よ る と、 生 前 にマ ア トに適 う生 活 を した 者 だ け が 、 墓 を 建 て 遺 言 に
よ っ て 遺 産 相 続 をす る こ とが 可 能 で あ っ た の だ と言 う。 「宰 相 プ タ ハ ホ テ プ の 教 訓 」
の 第5の 教 え(84行 目以 下)に は 次 の よ う に あ る 。 「も し も お 前 が 多 くの 命 令 を与
え る指 導 的 な 地 位 に い る男 で あ れ ば 、 絶 え ず 正 しい 行 動 を と る た め に 努 力 せ よ 。 お
前 の 行 動 が 誤 りな き も の とな る まで 。 マ ア トは 偉 大 な り、 そ の働 き は 存 続 す る。 そ
れ は オ シ リス の時 以 来 、 乱 され た こ とが な い。 彼 女 の(;マ ア トの)掟 を 犯 す 者 は
罰 せ られ る 。 貧 欲 な 者 に は、 そ れ は 遠 い も の に 見 え る。 卑 劣 さ が 財 宝 をか き 集 め る
が 、 不 正(な 者)が(彼 岸 に)着 い た こ と も、 長 ら え た こ と も な い。 終 わ りが そ こ
に あ る と き 、 マ ア ト(だ け)が 存 続 す る。 そ れ で 人 は 言 う こ と が で き る の だ 、 『こ
れ が 私 の 父 の所 有 で あ る』 と」。 さ らに 第19の 教 え に は 、 「だ が 、 マ ア トに適 う者 は、
存 続 す る。 そ して 彼 の ふ る ま い に応 じて 逝 く の だ 。 彼 だ け が そ れ に 関 して 遺 言 を 残
す こ とが で き る。 だ が 、 貧 欲 な 者 に は 墓 が な い」 と あ る。 ア ス マ ン は 、 さ らに 中 王
国 時 代 、 新 王 国 時 代 の 文 献 を参 照 して 、 死 後 の 生 が 保 証 さ れ る条 件 と して 以 下 の3
p36/
点 を挙 げ る 。(1)フ ァ ラオ に仕 え て 、 生 前 の 行 為 を 記 念 す る 墓 を建 て る こ と の で
き る 官 職 に つ いて い る こ と。(2)死 者 儀 礼 を 実 行 し う る子 孫 が 存 在 す る こ と。(3)
故 人 が 隣 人 に 愛 さ れ る こと に よ って 存 続 す る社 会 的 記 憶 が あ る こ と。 な ぜ な ら これ
に よ っ て 墓 が 人 々 に敬 わ れ る こ と に な る か らで あ る 。 貧 欲 な 者 は 第3の 条 件 を満 た
さ な い ので あ る。 遺 産 相 続 に も条 件 が あ っ た 。 まず 死 者 儀 礼 が 可 能 で あ る こ とが 条
件 と され る。 次 に遺 言 状 は 、 宰 相 の い る 役 所 で 公 的 に 認 知 さ れ 、 封 印 され な け れ ば
な らな か っ た 。 わ れ わ れ は 古 代 エ ジ プ ト人 の 墓 を呪 術 的 な 世 界 観 の 下 で 生 きて 来 た
人 間 の た だ の記 念 碑 と考 え る か も 知 れ な い が 、 そ うで は な い 。 記 念 碑 と して の墓 は 、
社 会 的 記 憶 を外 的 な 形 を と っ て 現 在 化 して 残 した も の で あ る 。 墓 石 の 存 在 だ け で 人
を永 遠 化 で き る の で も、 不 滅 に で き る の で もな か っ た 。 故 人 の 徳 、 つ ま りマ ア トと
結 合 し た故 人 の 行 為 と こ とば が 人 を不 滅 に す る の で あ る。 墓 に 故 人 の伝 記 が 記 さ れ
る こ と が あ っ た の も この こ と と 関 連 して お り、 この よ うな 墓 碑 に お い て は 、 墓 の 主
が マ ア トに 適 う生 活 を した 、隣 人 に愛 され る 人物 、 つ ま り 「義 人」(jm;hjj)で あ っ
た こ と が強 調 さ れ た 。Assman・=注(7)S.92ff.
(81)否 定 告 白 のB表 で は 、 社 会 生 活 に お け る 一 般 的 な 倫 理 規 定 の違 反 が 問 題 に な っ て い
る の に 対 し て 、A表 に は 、 神 々 に 対 す る タ ブ ー の 違 反 が 記 され て い る 。 ま た 、 度 量
衡 の ご まか し も問 題 にな っ て い る 。
(82」勝 村 弘 也著=注(17)89頁 以 下 の 注 解 を参 照 。 死 者 の 書 と 旧約 テ ク ス トの 比 較 に つ
い て は 、Assman-_注(7)S.145f.参 照 。
(83)Hermann Gunkel, Die Psalmen, Gottingen(1929)5.102.;Hans-Joachim Kraus,
Psalmen:BK Bd.XV/1, Neukirchener Verlag{1973)5.253ff.,342ff.;E. Otto,
Kultus and Ethos in Jerusalemer Theologies ZAW 98(1986}161-179.;K.Koch,
Tempeleinlal31iturgien and Dekaloge, in: Studien zur Theologie der
alttestamentlichen Uberlieferung(Fs. von Rad 1961>5.45-60.イ ザ ヤ 書33章14-16
節 、 ミカ 書6章6-8節 、 申命 記26章13節 以 下 も こ の よ う な 儀 礼 の典 拠 と され る。
こ こで 言 う 「トー ラ ー 」 は 、 律 法 の 意 味 で は な くて 、 祭 司 の 告 げ る 具 体 的 な 指 示 、
な い し諭 しの こ とで あ る。
(84)詩 篇15篇5節 全 体 を 訳 す と、 「彼 は そ の銀 を、 利 息 を と っ て 貸 さ な い。 彼 は 罪 な き者 に反 対 して 賄 賂 を と らな い 。 この よ うに な す 者 は 、 と こ しえ に揺 ら ぐ こ とが な い」と な る。 な お 、 古 代 オ リエ ン トで は 利 息 は、 きわ め て 高 か っ た 。
p37/
モンゴル
https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/tebisawa19.pdf
古代文明は人口の増加をはぐくむ環境など、いくつかの要素があった。
記録から研究されているようだが、残された発掘品されたものから
も研究されていくのだろう。 ここには古代からの盗掘とか劣化消滅などの苦労が
あろう。
初期にはグループ化(群れ)、これらが近接すると争いから、自然界では縄張りと
自然の摂理で時に非常なバランスがとられてきたが、二本足のサルは知恵でグループ化
の統合を進め、階層化とみられるものがすすむ。 しかしながら自然現象にはまだ
まだ非力で、シャーマニズムなどを営む行動とか、神々の創造、神官階層、ここまでの
過程の中にも地域性がそれらに影響し、隣接する文化圏の覇権争いも・・・・
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/8040/886982.pdf
神官階層