https://ja.wikipedia.org/wiki/ペルシウム#cite_note-Gauthier14-1
541年、ペストの流行がペルシウムから始まった。これが、東ローマ帝国から西ヨーロッパまでを蹂躙した「ユスティニアヌスのペスト」の始まりであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペスト
ペストはこれまでに3度にわたる世界的流行をみている。
- 第1次は、6世紀の「ユスティニアヌスのペスト」に始まって8世紀末まで続いたもの。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペストの歴史
東アジアと西アジア・地中海世界をつなぐシルクロードは、2世紀以降、絹や漆器、紙などを西方に、宝石やガラス器、金銀細工や絨毯などの文物を東方にもたらしたが、同時にさまざまな感染症を交換させた[6]。天然痘や麻疹は西から東に運ばれ、ペストは東から西へともたらされた[6]。こうした感染症に対し、人びとは免疫をもたなかったので、東西でパンデミックが生じ、多くの人命が失われた[6]。
アントニヌスのペスト[編集]
ペストは、上述のように、シルクロード交易によって東方から西方に伝わった感染症で、すでに1世紀〜2世紀、エジプトからシリアにかけて、大流行したとの記録もある[5]。
ユスティニアヌスのペスト[編集]
記録に残る歴史的な大流行としては、542年から543年にかけてユスティニアヌス1世(在位527年-565年)治下の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)全版図で流行したペストが著名であり[6]、
https://ja.wikipedia.org/wiki/ペストの歴史
年代 | 場所 | 推定死者数 |
---|---|---|
1347–51 | 欧州、アジア、中東 | 2500万~7500万 |
1360–63 | イギリス | 700,000~800,000 |
1464–66 | パリ | 40,000 |
1471 | イギリス | 300,000~400,000 |
1479–80 | イギリス | 400,000~500,000 |
1576–77 | ヴェネツィア | 50,000 |
1596–99 | スペイン・カスティリア地方 | 500,000 |
1603–11 | ロンドン | 43,000 |
1620–21 | アルジェリア | 30,000~50,000 |
1628–31 | フランス | 1,000,000 |
1629–31 | イタリア | 280,000 |
1647–52 | スペイン南部 | 500,000 |
1654–55 | ロシア | 700,000 |
1656–57 | ナポリ、ローマ | 150,000 |
1665–66 | ロンドン | 70,000~100,000 |
1675–76 | マルタ | 11,300 |
1679–80 | オーストリア | 76,000 |
1681 | プラハ | 83,000 |
1689–90 | バグダッド | 150,000 |
1704–10 | ポーランド | 75,000 |
1709–13 | バルト海沿岸 | 300,000~400,000 |
1720年代 | マルセイユ | 100,000 |
1738–40 | ハンガリーなど | 50,000 |
1770年代 | モスクワ | 75,000 |
1772 | バグダッド | 70,000 |
1791 | エジプト | 300,000 |
1813–14 | マルタ | 4,500 |
1829–35 | バグダッド | 12,000 |
https://www.afpbb.com/articles/-/2772233
研究チームはペスト菌17株のDNA配列を解析し、共通の祖先から変異した病原菌の遺伝子系統を調べた。その結果、ペスト菌は2600年以上前の中国で初めて出現したことを示唆する結果が得られたという。
その後、約600年前からペストは中国からシルクロードを通じて西ヨーロッパに伝わり、さらにアフリカへと拡がった。15世紀に通商貿易航海で活躍した明王朝(1368~1644)の鄭和()も、ペスト菌の拡大に「貢献」したとみられる。
さらに19世紀末、ペスト菌は中国からハワイ()に伝わり、サンフランシスコ()やロサンゼルス()などの港町からカリフォルニア()に上陸。米本土全域へと広まっていった。今回の発見は、ペストだけでなく、炭疽症や結核など感染性の病原菌の起源解明にもつながると期待されている。
ペスト菌は元来、ネズミなどの齧歯(げっし)類の体内に潜伏しているが、感染した動物の血を吸ったノミを媒介としてヒトに感染する。ペスト菌がリンパ腺に伝播すると、腺ペストを発症する。
研究は アイルランドのコーク大学()のマーク・アフトマン()教授が主導し、米国、英国、中国、フランス、ドイツ、マダガスカルなど、多くの国の科学者が参加して行われた。(c)AFP