芭蕉の句碑:少講義:三森幹雄:謹書:
あらたふと 青葉若葉の 日の光り
1880頃は少講義
その後
昇格している。
江戸時代[編集]
(厳密には俳句ではなく俳諧を詠んだが、優れた地発句ゆえに俳句と同一視される)
- 松尾芭蕉(1644年 - 1694年)
- 向井去来(1651年 - 1704年)
- 服部嵐雪(1654年 - 1707年)
- 森川許六(1656年 - 1715年)
- 宝井其角(1661年 - 1707年)
- 蓑笠庵梨一(1714年‐1783年)
- 与謝蕪村(1716年 - 1783年)
- 小林一茶(1763年 - 1827年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/俳句
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000179662
(明治初年の墓石に、「少講義●●(氏名)●●」と刻字されているということであった。) 明治初年に政府の国民教化政策により教部省に置かれた教導職の一等級。大教正、権大教正、中教正、権中教正、少教正、権少教正、大講義、権大講義、中講義、権中講義、少講義、権少講義、訓導、権訓導の14等級からなっていた。少講義は上から11番目になる。『明治官制辞典』(朝倉治彦編、東京堂出版、昭和44年)や『國史大辞典4きーく』(吉川弘文館、昭和59年)の「教導職」など参照。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/haibun1951/1958/17/1958_17_16/_pdf
助詞「に」と切字 ―芭蕉の発句「蓬莱に聞ぼや伊勢の初便」の解釈をめぐつて―
富山奏
切れ字は、強制的に句を切るために使われる助詞のことである。現代の俳句でも使われている切れ字には「かな」「や」「けり」などがある。俳句以前の連歌・俳諧の時代には「もがな」「し」「ぞ」「か」「よ」「せ」「れ」「つ」「ぬ」「へ」「ず」「いかに」「じ」「け」「らん」など、先の3個と合わせ、計18種類の助詞、助動詞が使われていた。助詞の他には、名詞で切れることが多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/俳句
http://akinokusa.jugem.jp/?eid=72
きれじ
切れ字十八字
《参考図書》
理解しやすい古文 秋山 虔編 文英堂
俳句で楽しく文語文法 山西雅子 角川選書
明鏡国語辞典 (C) Taishukan, 2002-2007
富井の古典文法をはじめからていねいに 富井健二著 東進ブックス
ベネッセ古語辞典 Benesse